Novel

COMPLEMENT
24 Villainous PARADIGM

 灰色の街だ。青地に白い縁取りの看板の下でそんな事を思う。上着の裾に引っ掛けて絡まない辺りに銃を押し込んで、船から下りたばかりの二人よりも先に建物へと進む。
 何度か来ている場所だったため迷う事もなく、大体の間取りも理解していた。真っ白な雲に対して、コントラストの強い濃い青の空を仰ぎながら、周囲に誰もいない事を確認する。元々人通りも少なかったので、そこにいたのはスヴェルとエルフレダと自分だけだ。
「別に待っててもいいんだぞ。どうせ様子を見てくるだけなんだ」
 突貫で組み立てたスタンガンは今はエルフレダの手元にある。帽子を目深に被り、マフラーで顎までを覆い隠したエルフレダは渋い表情で笑みを作った。
「スヴェルと行ったら私一人こっちに残る羽目になるわけだし。すぐに逃げられる位置に立つよ。第一ヘイズだけで行って、正規軍かゲリラか判別できる?」
「それはそうだが……」
「非力な女は精々人質に取られないよう気をつけますって。ヘイズの近くにいればいいんだね?」
 油断を誘う手段にもなるかと無理矢理自分を納得させ、短く溜め息をつく。見たところ待ち構えている様子もなければ、狙撃しようとどこからか狙っている様子もないようだったし、船に残っていても安全だとは思うのだがどうなるか分からない。
 万が一建物の中でしくじった時に、自分達より早く外へ出た連中に人質にされては困る。こめかみを押さえながら頷いた。残りの問題はスヴェルだ。
 振り返ると、半ば困った風に片眉を上げているスヴェルが目に入った。
「喧嘩程度になら撃った事あるけどよ、過信すんなよ」
「いざとなれば頭引っ込めとけ」
「エルフレダは大丈夫だろ。そいつ俺より神経太いぜ。ちょっとやそっとじゃ悲鳴なんて上げやしねえ」
 仮にも女性に対して、酷い言い草だ。幼馴染を的確に評価するスヴェルに苦笑を浮かべる。
 雑居ビルの階段を上る。案の定見張りも用心棒も誰一人いやしない。ヘイズの後を追って階段を上り始めたエルフレダの後を、スヴェルがついてくる形だ。
「エルフレダ、階段が続いてる。足元気をつけろよ」
 スヴェルが黒い紙とペン型の修正液を手渡しながら、眉を顰める。壁を伝いに階段を上るエルフレダを見ていると、やはりスヴェルごと船に置いてきても良かったかもしれないなどと思う。
「そういえば眼……って何なんだ、俺が気を使ったほうが良い事ってあるのか?」
 以前眩しそうにしている時に尋ねた事を思い出し、エルフレダに問いかける。その時彼女から返ってきたのはその症状の名前だったが、特に何も気にしなくて良いのだと言っていた。彼女は帽子の縁を掴んで前方からの光を弱めながら、苦笑を浮かべた。
「大丈夫。眩しすぎちゃって視力が弱いのと、視点がちょっとブレるのと、紫外線に対する耐性が普通の人と比べて低いだけ。ここちょっと眩しくて」
「北よりゃいいだろ、あっちと違って雪の反射が少ないからな」
 南のエアドレイドと北のテナウ=ハサハでは気温にかなりの差がある。街中で積み上げられた雪の塊をそれ程多く見なかったのは、そういった環境が影響している所為だ。スヴェルがさっさと行けと手で指示する通り、階段の踊り場まで上ったところで一度立ち止まった。
「お前そういう事、前に聞いた時言わなかったよな」
「言うと気を使いすぎちゃうでしょ、ヘイズみたいなのは。アルビノは病気じゃないから、そういうのは勘弁して欲しいね」
 にやにや笑うエルフレダの指摘は核心を突いていた。ヘイズもそこは否定できない。言葉に詰まって息を飲む。
「ヘッドライトをずっと向けられてるようなもんなんだと」
「ああ、それなら少し想像できる。そいつは眩しいな、目が眩む」
「あと少し視界が左右に振られるらしい。本人が何も言わなきゃ、まあ平気なんだろうさ」
「そういうこと」
 背中を軽く押され、曖昧に頷きながらさらに階段に足を掛ける。
「そういえば、押し付けた箱も何だったんだ? 聞いても良いのか?」
 思い出して問う。サハクが受け取る事を躊躇っていたのだから、そういった類のものである事は想像できるが中身が実際に何であるかという単語は浮かんでこない。
「マクガフィンさ」
 エルフレダが意地悪めいて笑う。
「なんだそりゃ」
 聞き慣れない単語に首を傾げる。
 後ろで呆れ顔を見せるスヴェルとは裏腹に、エルフレダの様子はどこか楽しげだ。
「知らなくてもそんなに問題はないって事。それは何か重要なものである、だけどそれが何であるか実は誰も知らない。そんな具合。だから実在を表明する必要はないんだ。例えあれが本当は無価値なものでも、そういったものって言われてればそれで納得するしかない」
「ってことは、あれは空なのか?」
「私もスヴェルもあの中身は知らないけれど、親方が『絶対に開けるな、俺の指示通りに然るべき時が来たらあいつに渡して来い。覗いたら命はないと思え』ってさ」
 物騒な話だ。要するにその箱の重要さは、スヴェルもエルフレダも言葉通りに受け取るしかないという事なのだろう。品定めはするが、輸送に関して品を覗くような真似はしない。それは余計な事に首を突っ込むなと言っていたスヴェルからも伺える。
 目的の階の廊下に出る。無人の空間であるはずの三階に緊張のようなものを感じて、後ろに手を伸ばした。
「人はいないと思ったんだけどな」
 慎重に足を運びながら入り口の前に立つ。その場で息を吸い込み、少し肺に溜めて目を瞑る。耳鳴りがするほど静かな場所で、後ろ二人の気配以外は感じられない。オフィス独特の硬質な空気を肌で感じる。誰も出てくる様子もなければ、ヘイズ自身これといって危険を感じなかったので、後ろ手に来いと合図した。
 それまでスヴェルもエルフレダも微動だにしなかった。幸いな事だ。
 入り口は曇りガラスで中に人がいれば人影が確認できるといった具合だ。人気のない扉を押し開けて辺りを見回す。正面には接客用のソファーとテーブル。右側へ視線を傾けると執務用の机が置いてあった。窓際の壁に沿って本棚もいくつか並べられている。給湯室や他の部屋へ繋がる通路には日が差し込み、白い壁をさらに白く見せていた。
 つまり、最後に見た時と何も変わらないという事だ。
「期待はずれだ、畜生め」
 オフィス用具は使い込まれていて、窓のブラインドも締め切ってある。本棚には法律関係の書物や参考用の資料が並び、一通り道具の類は揃っているように見えるが致命的なまでに人の気配だけがごっそりと抜け落ちている。
 廊下に立たせていても仕方がないとスヴェルとエルフレダを呼ぶ。
「正面ドアは開けたままにしとけ」
 指示通りに扉は開け放ったまま、左右を確認して入ってきた。
「傭兵を雇うには企業的って言うか、シンプルだね。もっと汚くて古い建物かと思ってた」
「まあ依頼人の素性を考えたらな。そうなるだろ」
 育ちの良い貴族相手ではそういう感想にもなるだろう。率直な溜め息に声が出ず、奥へ通じる通路を確認しようと足を踏み出した。
 ふと視界の隅に奇妙な違和感を感じる。ごく小さい虫が視界を横断する時と似ている。光学迷彩が開発されたなら、こういう違和感を感じるのだろうなどと悠長な事を考えながら、警戒心を呼び起こす。何が起きているのか言葉に出来なかったが、小さく手を挙げると商人二人はすぐにそれに応じた。口にしなくても理解してもらえるのは、幾らか気が楽だ。喋るより早く反応できる。
 慎重な足取りで通路へ繋がる壁を伝いに近付く。人影は依然として見当たらない。違和感の原因を探ろうとして、気が付いた。
 部屋の角にある観葉植物の葉が微かに揺れていた。
 天井を見上げ、それらしいものを探してみたが空調は入っていない。どこから吹いている風か確かめたくて、辺りを見回す。机の後ろに見える窓は締め切られていたし、観葉植物の鉢がある場所から考えて、通路の突き当たりと見て間違いはない。
 廊下の窓が小さく開いている。風はそこから吹き込んでいるのだろう。給湯室と思しき部屋へ通じる扉が開いている。中は暗かった。
 ヘイズは自然な足取りで踏み込んだ。スヴェルとエルフレダは見通しの良い客室に置いたままだ。
 人間の息遣いのようなものを感じる。肉眼で人の影は確認していない、感覚はあくまで直感が頼りだ。どうせ視認できないのであれば視力を頼ったところで意味はない。それどころか弊害にしかならない。
 微かに感じる人らしきものの存在の前に立った。
「FREEZE」
 後頭部に固い物が当たる。耳元を掠めた声は布越しらしく篭っていた。
「Let me see your hands up, cross your arms behind your back」
 南の訛りの強い忠告だ。目だけで影を追うと、自分の真後ろにいるらしく濃い緑の端が少しだけ見えた。大人しく従って両手を上げる。その状態で腰元の銃に手を忍ばせる事はできない。
「ヘイズ!」
 咄嗟に銃を握ったスヴェルが叫ぶ。自分の背後にいる男はもう一丁持っていた銃をそちらへ向けた。
「北の人間だな。共通語は通じるか?」
 男は低い声で呟く。どこかで聞いた覚えのある声のような気もしたが、これといって特徴のあるものでもない。記憶を探ってみても思い当たる節は特になく、背を這う銃口の感覚に嫌悪感を催しながらも注意を凝らした。
 サブマシンガンを片手に構え、スヴェルにピストルを向けている男が単独でこういった行動に出るとは考えられにくい。しかし他に人がいるようには思えないのだ。
「サンドラインの小僧だな?」
 傭兵団の名前を出され、ヘイズは顔を上げる。男の正体にいくつかの心当たりがある。そのうちのどれかは本人に聞くのが手っ取り早い。
「ベルナルド・パラダイムはどこへ消えた? お前達は何をしたんだ?」
 耳に覚えのある名前だ。質問を上手く飲み込めず片眉を上げる。そこで答えて穏便に事を済ませられるのならそれが一番だ。正直な事を話したところで納得が行くだろうか。男の指は引き金に掛かっている。
 引き金を絞ろうと力の篭る男の手を一瞥し、ヘイズは半身を捻りながら懐に潜り込んだ。
 振り返ると同時に銃身を掴んで軌動を逸らし、未だ反応しきれずにいる男の顔面目掛けて突きを叩き込む。狙うのは目だ。
 男が慌てて顔を引いた所為で突きは狙っていた眼から外れ、拳が男の頬を強く掠る。
 スヴェルを狙っていた銃が向きを変え、床へ向けて弾丸を吐き出している。全て床へ向けて撃たせてしまっても良かったが、何発装填されているのか数える余裕はない。ほぼ条件反射に頼ったまま、サブマシンガンを押さえた右腕を後方へ引き、踏み込む。
 そのまま鳩尾を蹴り上げて急所を取ると、男はバランスを崩して床へ倒れた。
 取り落としたピストルを蹴って靴裏で腕を押さえ、男が抱え込もうとしていたサブマシンガンを反転させて奪い上げる。武器を抱えている以上、無抵抗で済むとは思っていなかった。
 床で何度か円を描きながら回っていたピストルを、エルフレダが拾い上げる。
「わお、システマ? クラヴ・マガ? それともアイキドー?」
 暢気な女だ。危険がすぐ隣にある事など凡そ頭から抜けているような緩慢な動きに、毒気を抜かれる。
 奪ったサブマシンガンを男に向け、腕を踏みつけたままの足に体重をかけた。
「脅すにしては少し間が抜けてるな」
 軋むような音が鼓膜を擦ったが、男は小さく呻くだけだった。そこで悲鳴が上がらなかった事を考えるとこの男は痛覚が鈍いか、訓練されていると考える他ない。いまだ自由な片腕を押さえようと、転がしたままの男の手首を捻って背に圧し掛かる。
 スヴェルの方を一瞥しても人影はなく、他に待ち構えているような人間もいないようだった。
 濃い目の緑の野戦服を身に纏い、顔は覆面で隠している。唯一露出した目元から察するに、黄色人だ。思い出して重点的に見てみると、襟章はない。肩章も剥いであるのか見当たらなかった。エアドレイド軍にしては東の血が濃いようにも思える。
「何か勘違いされてるようだが、お前は依頼人の後ろにいた奴か?」
「質問しているのは、俺だ。ベルナルド・パラダイムはどこへ行った!」
 取り上げたサブマシンガンには9ミリパラベラム弾が装填されている。対テロ特殊部隊向けに製造された銃だ。よく見ればグリップが削られて若干短くなっている。弾倉には十分な残弾があった。
 ベルナルド・パラダイムは依頼人の名前だ。その名前を知っているという事は、彼と何らかの関係がある事を示している。サンドラインという固有名詞が出た事もあって、大体の想像はついていた。
 膝で背を押さえたまま男の肩甲骨に銃口を押し当て、もう一度確認の言葉を呟く。
「パラダイムは俺も探している。お前、パラダイムの護衛についてた奴だろう。解放運動やってるゲリラ部隊か? エアドレイド正規軍か?」
「どちらでもない」
「どういう事だ」
 視線だけで合図を送ると、男の頭に銃口を向けていたスヴェルは、納得がいかなさそうな顔でゆっくりと銃を下ろした。
「ブライガの傭兵だ。俺達はパラダイムに騙されてたんだ、俺の仲間はどこへ消えたんだ!」
 既視感と呼ぶべきか、エルフレダがスヴェルと顔を見合わせているのが見える。思わずそこに混ざりたくもなった。依頼人パラダイムのSPだと思っていた連中も、どうやら似たような境遇にあるらしい。
 ヘイズは溜め息混じりに溜めた息を吐き出した。
「奇遇だな。俺もその件でここへ戻ってきた。そっちの事情を説明しろ」