Novel

COMPLEMENT
23 in a Doubt

 宿の主人は気の弱そうな若い男だった。そんな他愛もない事を思い出しながら街の地図を開く。目印にしていた広場を指差しながら、その周辺の建物の名前や地名の記載を目で追う。
「スヴェルに事務所の場所まで案内しろって言われてたんだ」
「事務所って、依頼人の?」
 帽子を脱いで、代わりに色の入った眼鏡を掛けながらエルフレダが問う。助手席に正座状態で座り込んだまま、やや眩しそうに目を細めていた。
「そう。でもさっきの花火屋で色々分かった事もあるしな」
 鈍い色をした地図の上をなぞりながら、見覚えのある名称を一つずつ確認していく。スヴェルと会った酒場、ウラジーミルの売店、広場、露店通り、商店街、そして宿屋。伝いながら紙の上の方で描画範囲がぶつりと寸断された。記憶を探る集中力も同時に切れ、苛立ちから舌打ちをする。
「多分裏側」
「おうよ」
 じっと様子を見守っていたらしいエルフレダが、苦笑気味に指差した。折りたたんであった地図を引っくり返し、この際面倒だからと一面丸々広げてしまった。くしゃくしゃに折り目が付かないよう、配慮しながら広げていくと今度は自分が邪魔になる。後部座席を完全に倒し、そこへ地図を乗せる。
 古びたビルの一角、特に目立った建物のない、閑静なビル街の中だ。新聞屋や、客を選ぶような店しか並んでいない通りにその名前はあった。
「今いる場所とは、てんで反対側っぽいね。あの辺りなら無骨な男どもが出入りしてても怪しくはないか、うん」
「近くに銀行もあったな。雑居ビルが並んでて、極普通の質素なとこだった」
「最後に立ち寄った時はどうなってたの?」
 目的の場所を探り当てて二週間程前の記憶を引き出そうと、口を継ぐんだまま下を向いた。不可解な点が多い所為か、エルフレダと謎解きをしていく間に色んな事実が、まるでそうであったかのようにでっち上げられていないかが不安だった。
「接客用のソファーとテーブル、奥に大きな机があったんだが……そっくりそのまま残ってたな。もぬけの殻って言葉がピッタリだ。必ず入り口に誰か一人は立っててな、それが最後の日には誰もいなかった。若い依頼人と、背後には肩章のない軍服が十人程」
「緑だって言ってたね。サハクの爺さんの話からすると政府か軍事関係者ってとこかな。少なくとも、今のレブナンスと睨み合ってる状況が気に入らない人がいるって事」
 的確な推測に頷きながら、無線の前で苛々しているスヴェルを見やる。まだ話はついていないのか、相手から話しかけてくるまで近付かない方が良さそうだという結論に至った。
「荒れてる様子はなかったし、偶然留守なだけかもしれないと思って、俺はそこで一日待ってみた」
「うわ、そんな事したんだ」
「仲間がいりゃ、ただバックレただけだと思っただろうな。誰一人、来る奴はいなかった」
 その場で腕を組み、壁に寄りかかる。ウラジーミルから入手した情報については、エルフレダに何も話していなかったと思い出し、どこから話したものか順番を決めていく。
 車体が軋み、視界にブレを認めて荷台へと注意を傾ける。数時間前に見た時と同じように、紙切れを手にしたスヴェルが佇んでいた。今度は不機嫌とは違った、困惑の色を伺わせる。思わぬ態度に動じた所為か、道を完全に塞いでいた地図を折りたたみながら距離を開けた。
「エルフレダ、ヘイズと席換われ。場所を案内して貰わんと」
「芳しくない顔だね」
 エルフレダの指摘を待たず、スヴェルは運転席へどかりと腰を下ろし、膝を折ったまま頭を抱えた。
「ヘイズの事を説明したらあの親父、面倒押し付けてきやがった。どうしよう」
 余りに彼らしからぬ弱腰な態度にエルフレダと顔を見合わせる。席を移動するエルフレダに、手にしていた紙を手渡しながら、窓に額をぶつけた。
 手の平サイズのチラシの裏に書かれた文字は途中から歪んでいる。内容を確認しながら、後ろへ行ったエルフレダもスヴェル同様に唸っていた。
「原因突き止めて来い、ですか。こうなったらもう、やるしかないでしょー。そのまま帰ったら親方にぶん殴られるよ、拳骨で」
「やめろ冗談じゃねえ。あの親父、腕力だけは無駄に残ってるから洒落にならん」
「片付けて来いって言われなかっただけ良いとしか思えないな」
「こんな事になるなら黙ってでも適当に済ませとくんだった」
 それ程親方が怖いのか、とからかおうとして実際に口にするのをやめた。後が恐ろしい。
 ヘイズは自分の所為で面倒な事に巻き込まれている二人を前にして、微苦笑を浮かべた。
「悪いな、俺に声かけたばっかりに」
「遅かれ早かれお前に辿り着いてたんだ。もー俺は諦めた、こうなりゃとことん付き合ってやる。で、どこだって?」
 地図を奪い取り、それぞれに席につくよう命じる。ヘイズが大まかな場所を言うより早く、エルフレダが詳細な地名を出して来た。彼女の方が詳しかったので、ヘイズが思い当たる周囲の景色を言うまでもなく、助かってしまった。
「広場って事は、コンサートホールの裏を行ったところか? とりあえずそっちまで行ってみるか」
 確認を取るスヴェルに、二人揃って頷いた。上着のポケットに押し込んであった飴を取り出し、エルフレダに押し付ける。ウラジーミルの店から頂戴してきたそれだった。
 車体がゆっくりと振動を重ねて動き出す。
「ウラジーミルって爺さんに依頼人の特徴を話したら、王族らしい事が分かった。髪の長い、眼鏡の男だ。多分俺達と同じくらいの年だな。ああくそ、写真のコピーを貰ってくれば良かったな」
 失念していたのを今更ながらに悔いながら、後部座席のエルフレダに向けて呟く。エルフレダはスヴェルから貰った飴の包装を毟り取りながら、肯定した。
「アベラルド公子だね、エアドレイドの第一公子。三人公子がいるうち、上二人は相当アグレッシブな性格してるみたいだから、こっそり動き回っててもあまり驚きはしないけど、公子が傭兵を雇うかねえ。公子にどこまで権限があるかなあ」
「しかもそこへ第三公子誘拐の報せだろ? 関連を疑いたくなるが」
「横流しの件が傭兵と繋がってたのは確かだし、サハクがあんまり疑わずに信用した相手だっていうから、それが公子本人だったなんて言われても、まあ考えられなくはないけどって答えるねえ。公子のお得意先になれるかもなんて思ったかな――っと、そうだ。ヘイズ、あの呪文みたいなやつ、ドラッグ? そっち詳しい?」
 座席のヘッドレストにしがみ付きながら、エルフレダが興味深そうに話しかけてくる。窓の外には、昼間の賑やかな商店街が見える。
 あまり深く突っ込んで欲しくなかったところだったなどと、内心失敗したと感じていた。
「別に詳しいわけじゃない。こういう事をやってるとな、恐怖とか不安でどうしようもなくなった時に使うんだよ。麻酔の代わりに使ったこともあったな、もっと軽いやつだけどよ。ああいう場所だと眠れなくなるだろ、短い時間でぐっすり眠ろうと思ったらな――たまに抜けられなくなる奴がいる。それが嫌なら自力で耐えるしかない」
「場所によっちゃ駄目でも、こっちじゃ合法なもの多いしねえ」
 蔑まれるか、好奇心の目を向けられるとばかり思っていたが、予想に反して溜め息のようなものを背後に感じ取り、ヘイズは呆気に取られた。商談を始めるのかもしれないと身構えていたが、それもない。
「ちょっと分かるかもね。重たい銃でブレずにしっかり狙おうと思ったら、ブレを抑える薬使う事あるしね。段々精神的に依存してく。とまあ、私が聞きたいのはそっちじゃなくてだな」
 人差し指で後頭部を弾かれ、呻く。エルフレダは構わず続けた。
「エアドレイドって大陸の中じゃ比較的暖かいでしょ? そういった原料の栽培も盛んな地域があるみたいでね、もしかしたらそういうヘイズ達みたいな弱みにつけ込んで、国が流してないかーみたいな事を何か暴けるかもなんて思ってたんだけど」
「そりゃねえだろ、流石に」
「そうかなあ」
 流石にそこまで馬鹿な話はないだろう。あって欲しくないという本音がそう思わせたのかもしれない。
 即座に否定の一言を返したが、エルフレダはどこか名残惜しそうにもう一度呟いた。
「レブナンスは怪しいって聞くんだけどなあ」
 どこからそんな情報を仕入れてくるのか聞いてみたいところではあるが、情報のソースを喋る程口は軽くないだろう。どういう意味で彼女がそう呟いたのか、ヘイズが理解するには情報が不足している。
 謎解きは苦手だと言い張ったスヴェルは、何も口を挟む事なく運転席と助手席の間にあからさまな壁を作り出している。
「まあ欲しければちょっとしたものなら手元にあるよ、とは言っておく。仮にアベラルド公子だったとして――いや、もう確信にも近いかな――事が最悪な方向に動いていたら、ヘイズはどうするつもり? 相手は国だよ」
 途端にエルフレダの声色が落ち着いたものになり、事が個人の範囲には収まりきれなくなっている事を再認識させられる。
「レブナンスに喧嘩を吹っかけてるって時点で、俺達をそっちに投入させたかったのか、それとも違う目的があったのか確かめたいとこだな」
「何の目的があって……うーん、何の目的があったんだろう」
 勘の良いエルフレダにも想像がつかないらしく、唸り始めた。
「一般人には分からない事情があるんだろうさ。俺はとにかく仲間の安否を知りたい。最悪のパターンは覚悟できてるさ」
「最悪のパターン……」
 エルフレダが繰り返す。嫌なところを意図して的確についてくる女だ。動きは鈍間なくせにと舌を巻く。そこで例えばなどと列挙していかないだけ、彼女が意識してやっている事が知れる。性格は悪くないものの、少々ヘイズが苦手としている部分を持ち合わせている。
 広場の前を通り過ぎたところで、船の速度が落ちる。道に迷い始めたのか、スヴェルは自信なさ気に案内を要求した。そこまで来ると、見覚えのある建物ばかりが並んでいる。
 広場の中心には噴水が流れ、その向こう側には古い建築に倣って神話上の女神像を柱にしたコンサートホールが見える。広場からメインストリートへ繋がる辺りには、屋台と露店が並んでいる。反対側は二、三階建てのビルが並ぶ狭い通りだ。
「三つ目の角を曲がってくれ、曲がって少し行ったところにパーキングの標識があるからすぐに分かる。その前だ」
「お前の不可解な出来事とは違って、この辺は『いつも通り』だな?」
 普段と変わらぬ人の往来、いつもと同じように暢気に商売をしている行商人、噴水の縁に腰掛ける観光客、何もかもが平常だ。人波をすり抜けながら進む船の異様さなど、誰も気に留めない。
「ヘイズの嫌な予感ってやつぁまだ有効なのか」
「緊張感を捨てるから危ない目に遭うんだ。例えばだ」
 懐に忍ばせた銃を咄嗟に取り出し、スヴェルのこめかみに銃口を突きつけ、微苦笑を浮かべる。スヴェルはこれと言って驚きもしなかったが、不機嫌そうに顔を歪めた。ヘイズが指定した場所に船を止める。
「な、ヒッチハイカーに殺されたら洒落にならんだろ」
「俺は一般人だっつうの。外で眺めてたって仕方ねえ、中へ行ってみようって言ってんだ。俺はともかく、エルフレダを連れて歩くのは危険だ。お前の勘は頼りになる。サハクは幸いビビってたから何もなかったけどよ」
「だからって、そんなん言ったらエルフレダを一人で船に待たせるのも危ないんじゃないか」
「お前からしてみりゃ俺だって足手まといだろ、そんなこたお前だって分かってるじゃねえか。だからこそ、その勘を信用して訊いてる」
 どんとハンドルを叩く鈍い音を耳に、ヘイズは閉口した。
 嫌な予感は些細なきっかけで始まり、何も起きなければそれまでだ。これだけ商団に絡んでいる依頼人なのだから、次どこでその名前を聞くか想像もつかない。
「スヴェル、お前、あのスタンガンはエルフレダに持たせる気で作ったな?」
「丸腰相手でも撃ってくる奴は撃ってくるんだよ。で、どうなんだ」
 スヴェルが要しているのは短い返答だ。それに気付いていながら敢えてイエスかノーで答えなかったのは、注意を単純化させる事を恐れていたからかもしれない。
「どこも危ないなら、いざという時守れるほうがいい。通信が入ってから嫌な感じはずっとしてるんだ。これで事務所が、俺が最後に見たままならどうしようかね」
「そしたら本来の予定通り一回北に戻るんだな。いっそ逃げた方が良いかもしんねえ」
 はっきりとした物言いに目を丸くしながら、しかし尤もな言葉にヘイズは同意した。