Novel

COMPLEMENT
21 Noble Malengin

 暫くその場に待たされること数分。ウラジーミルが奥の部屋から新聞や切抜きの類をまとめたファイルを持ち出してきた。相変わらず危うい足取りで杖をつきながら、よろよろとカウンターまで足を運び、スヴェルの前にそれを叩きつけるように差し出す。
 紙の束が風に捲くられてばさばさと音を立てた。
「じじい、心当たりがあるのか?」
 スヴェルが問う間にも指先で紙を滑らせ、目的のページを探す。
「全くないわけではない」
「黒髪青目の長髪貴族って言えばよ、まさか公子とか言うんじゃねえだろうな」
 何気なく呟かれた言葉に、老人は眼鏡の向こうの目を細めた。とぼけた様子は一切なく、ふざけているようにも見えなかった。紙を捲る手を止めスヴェルを一瞥する。
「言うたらどうする」
「マジかよ」
「先日第二公子がこんなところに来てな。わしゃまさかと思ったが――ああ、これで違いないかね」
 乱雑にまとめられたファイルから引き出された写真をヘイズの手元に置き、ウラジーミルはこちらの様子を伺う。城下視察を報じた写真らしいが、ヘイズには見覚えのある顔がそこにあった。
 長い黒の髪と、緑の軍服に囲まれながらも、明らかに別の威圧感を放つ少年の姿だ。背丈の程も周囲の人間と比較すると、ほぼ記憶のままだった。
「間違いない」
 思い出せる限りの特徴を一つ一つ照合させ、頷く。スヴェルは完全に困り果てた様子で腕を組んだ。
「参ったね。思ったより厄介な事になってるぞ」
「そうじゃ、よう聞いとけ」
 ウラジーミルがスヴェルに視線を合わせるように顔を上げる。
「エアドレイドの公子は悪巧みが得意での。昔っからやんちゃをしとるぞ」
「待てじじい、それとこっちの話とどういう関係があるんだ」
「それは自分で考えるのじゃな。もしお前さんが有名人だったら、街中を歩く時はどうする?」
「変装するだろ」
 スヴェルが躊躇いなく返した言葉を、ヘイズはもう一度反芻する。当人は何の疑問も抱かずに呟いたようで、特に動じた様子もない。
「てことは何だ? 俺の依頼人は民間人に扮した王族なのか?」
 上手く飲み込めずにウラジーミルに尋ねると、老人はそれ以上言葉にする事なく目を伏せるだけだった。そこではっきりと断言してくれるのであれば、早々に思考が固まっていたかもしれない。是とも非とも取り難い反応に困惑しながら、もう一度渡された数枚の写真を確認する。
 おっとりとした口調とは裏腹に物騒な単語を口にしていた少年だ。
「それだったら、正体に気付いた奴から捕まったって事もねえか……?」
 可能性を口にする。口封じのために捕まっているとも限られない。
 ふとエルフレダが襟章について話していた事を思い出し、記憶の引き出しを漁る。襟元にも肩口にも、どこにもそれらしき物はなかったように思う。
(正規軍が身分隠してる可能性もあるってか? 公子がゲリラの連中と一緒にいるってより、そっちの方が自然ではあるが)
 何から何まで分からない。
 公子が軍と一緒にいる理由も分からなければ、何故そんなものに自分達が巻き込まれたのか、心当たりは何一つないのだ。
「じいさん、最近のエアドレイドの動向は?」
 渋々尋ねてみると、ウラジーミルはやや呆れたような表情で新聞を捲る。
「全く持って平和そのものだ。元々武力に自信がない国だからの、貿易と交渉で何とかしてるようなものじゃ」
 希望を裏切る形での返答に、ヘイズは嘆息した。ここでどこかの国に仕掛けていると言われていれば、まだ己の中で謎解きが済んでいたかもしれない。
 こうなると動ける範囲で動き始めるしかない。ゆっくり立ち上がろうと思った矢先に、頭上でスヴェルが呻く。
「ヘイズ。エルフレダを回収したらお前、その問題の事務所まで案内しろ」
「そりゃ構わないが」
「釣られた魚はお前だけじゃねえかも。くそ、攫まされたな――シエルめ」
 憎々しげに吐き捨て、スヴェルはもう一本飴を手に、乱暴に扉を蹴り開ける。
「世話になったなウラジーミル、情報料は親父に伝えとけ。あと精々上手く隠れとけ、それ以上は俺は知らん」
 ヘイズの襟首を掴んで引き摺るように立たせる。自分より身長の低いスヴェルに引っ張られたのでは苦しいだけだ。慌てて喉が絞まらぬよう襟を押さえて膝を立たせる。
 ウラジーミルは人の良さそうな老人の顔でにいと笑った。
「わしゃ安全じゃの。何せ第二公子の保障があるからの」
「そりゃまたとんでもない奴を味方につけたな」
「侘び言うとったぞ」
「侘びだあ?」
 何気なく答えたウラジーミルに対して大袈裟に反応をしてみせ、スヴェルは上半身を捻った。引き摺られていたヘイズは、唐突に立ち止まったスヴェルを慌てて回避する。
「やっぱ何か知ってんだろ、くそじじい」
「わしゃ何も知らん。それ以上を調べさせようと思うとるなら金か対価を払え」
 きっぱりとした即答に肩を竦める。相応の対価を払ってまで聞き出すつもりは毛頭ないらしく、スヴェルの意向に従っているヘイズとしては何も口出しできる事もなかった。
 スヴェルに何か考えがあるらしい事は、通信が入るまでの苛々とした態度とは違ってやけに落ち着いたように見える様子から、少しばかり伺える。放り込まれるように船に押し込まれたヘイズは、締め付けられた喉を押さえて咳き込んだ。
 荒く扉を閉める音が鼓膜を突く。邪魔だと言わんばかりにスヴェルに蹴り込まれ、呻く。
「誰かがちょろまかしたって言ってたのはいいのか」
「ああ、それは多分ウラジーミルじゃねえ。あいつは情報屋をやっててな、横流しの件もあいつの情報だ。お前んとこのリーダーとやらも、そっちの事情で繋がりがあったんだろ? 商団に有益な情報なら身内はタダ同然で知らせてくれるが、普段はろくでもねえ連中に法外な金額で情報を売りつけてる――で、だ。通信が入った以上国境がごたついてるのは目に見えてる。どうせ国から出るのに時間が掛かるなら出来る事はやっておかねえとな」
「俺の依頼人が王族だった上に、公子誘拐の通信か。出来すぎてないか」
 渋々重たい体を退ける。エルフレダがこの場にいなかったため助手席の位置は空いていたが、どうにもこのスヴェルと真面目な会話をする気になれず、後部座席を起こして自分の席を作った。
「誘拐されたからそういう事したってんじゃねえか?」
「公子じゃなかった、ってじいさんが言ってなかったか?」
「公子が誘拐されて切羽詰まった兄弟が何か悪巧みしてる、その方が俺は納得いくけどな。公子じゃねえなら誰だってんだ」
「それは分からないが――」
「俺ァ頭使うの得意じゃねえんだよ、エルフレダとやれ」
 文句を口にしつつハンドルを握る。スヴェルはそれ以上何も言わせる気はないらしく、仏頂面をさらに歪ませるのも余りに無神経な気がして続きは諦めた。忠告のない乱暴な発進の所為で席に叩きつけられ、壁で頭を打つ。
「『王族か貴族か知らないけど、レブナンスに対して好戦的な奴がいるらしい』、『エアドレイド側に不審な動きあり、早々に引き上げた方が身の為』、『横流し先は不明。サハクの辺りが怪しい』、公子誘拐の報せあり、王族に雇われた傭兵団が消えた。これは全部繋がるのか……?」
 後頭部を擦りながら頭を上げると、繋がりのよく分からない独り言が降った。スヴェルなりに考えているらしく、口を挟むのは無粋のように思える。黙って聞いていると、前方から返答を要求する視線を感じてヘイズは溜め息をついた。扱いにくい男だ。
「どこを見てもエアドレイドかレブナンスが絡んでくる、俺は何に巻き込まれたんだ? 流石に命まで売るつもりはねえぞ」
「売らせないように見張っておくさ。とにかく俺の依頼人と横流しと、繋がるのかどうか確認しない事には俺もお前も何もできないな」
「横流し先がお前の依頼人だと確信してんのか?」
「勘だ。そういうものは必ずどこかで足がつく」
「そりゃまあ、そうだけどよ」
 歯切れの悪い返答を聞き流し、足元に置いたダンボールを漁る。スヴェルから取り上げた製作途中のスタンガンが適当にまとめられたままだ。その下に弾薬の入った箱があり、己の手持ちの荷物と一緒に引きずり出す。船は既に花火屋に向かって動き出していた。
「何も知らずに騙されてた方も悪いのかもしれないけどな」
 自嘲気味に笑い、マガジンに弾丸を詰める。万が一を考えて余分に予備を作ってあったが、それ以上にこれを扱うのが自分ではないという事を念頭に置いて、外した分を計算に入れる。
「どうにも依頼人の顔を一発、ぶん殴ってやりたい」
 淡々と告げながら、運転中のスヴェルが着ている上着のポケットに銃を押し込む。
「是非そうしてくれ――って、お前今何しやがった」
「一挺持っとけ、二人バラバラに動かれたら守り切れない」
「おい、俺はそんな物騒な場所に立ち入るつもりはねえぞ。それもお前の勘ってやつか?」
「さあな。嫌な予感と言っても良い」
「もっと性質が悪いわ」
 念を押すように問えば、スヴェルは心底嫌そうな顔を向けて吐き捨てた。それでもヘイズは構わず銃を手に取って説明を始める。
「銃の扱い方は分かるな? 自分の商品の扱い方を知らない商人なんていないよな? ブローバックの反動があるからな、フレームの後方がグリップより張ってるから手の形に合わせて持て。撃たない時は引き金に指をかけるなよ、うっかりして自分の足撃ったら洒落にならねえ」
「お前俺の話聞いてんのか?」
「あと、横撃ちすると弾詰まりジャムを起こしやすいから普通に撃て。格好つけて片手で撃とうとすると馬鹿を見るぞ」
「うるせえ、分かってるんなこたァ! お前、俺に何させる気かって聞いてんだよ!」
「――っおわ!」
 急にハンドルを回した影響で車体が傾き、ものの見事に船が曲がり角でドリフトを決めた。身を乗り出していたヘイズは頭から突っ込み、助手席に投げ出される形で転がった。扉に頭を打ち付け、隙間に填り込む。
 通常これだけ大きな船にもなれば、後方を引き摺るか横転するかのどちらかのはずだが、そこはウラジーミルが悲鳴を上げるような改造車だ。どう仕様を弄ったのかヘイズには皆目検討もつかないが、すぐにバランスを持ち直して通りに出た。
 ヘイズのいる場所からは目視できないが、道路の方には高熱で焦げ付いた跡が残っているに違いない。
「とりあえずサハクのじじいがヤバイのか、事務所の方がヤバイと思ってんのか、どっちなのかハッキリしろ!」
「両方だ。ああくそ、思い切り突っ込んだな、こりゃあコブになる。転倒して荷が引っくり返ったらどうする気だ」
「固定してあるから心配はない」
 そういう問題でもないと言いたくもなったが、スヴェルの態度を見ているとそんな気力も削がれる。帽子を被り直して渋々助手席に座り直す。スヴェルの刺すような視線が気になった。
「ヘイズ。お前やけに蛮猫の見分け方が上手かったけどよ。お前も蛮猫だろ」
 ぎくりと肩を震わせる。自然に反応してしまったと言っても過言ではない。
「知ってどうする」
「別にどうもしねえよ。北にゃ多いし、昔からの知り合いにも多かったからな。ただそれ、人間ぶってんならお前相当下手くそだ」
 どこを指してそう言いたいのかヘイズには理解できなかったが、純粋な人間から見てそう感じる部分があるのなら、スヴェルの言う事も確かだろう。そして矯正したいのならスヴェルに聞くしかない。
 船を先程エルフレダを迎えに来た時と同じ場所へ止めて、エンジンを切った。
「感覚が鋭すぎるんだよ」
「は?」
 言われた事を飲み込めず、そのまま跳ね返す。ヘイズが適当に詰め込んだ銃を自らの手で確認し、腰元に差す。
「お前、エルフレダを見てる時苛々してるだろ、このウスノロってな。気持ちは分かるが、人間の俺はお前みたいに動けねえ。気配殺して動かれるのも、こっちはこええんだよ。ちったあ使い分けろ」
「そんなに不自然か?」
「丸見えの場所にいる時はいいが、移動中に突然気配が消えるのは心臓に悪い」
「難しいな。奇襲には有難がられるが」
 身に染み付いた癖と言う物はなかなか消えない。さり気ない難題に眉を顰め、頬を掻いた。
 スヴェルは外にエルフレダの姿がない事を確認しながら、周囲を見回した。恐らくまだ店の中で、サハクという花火屋と話しているのだろう。スヴェルにとってはその方が都合が良いのか、今度は待たされる事に対して何も言わない。
「ちょっとサハクのじじい脅しておかねえと」
 押し付けた銃を確認する様子からは、若干の緊張が感じ取れる。
「見たところ特に何もないとは思うんだけどな」
 動きに支障が出ては意味がない。過ぎる警戒心を解いてやろうと声を掛けてみたものの、いつもの脱力感に似た怠惰な挙動は鳴りを潜めている。
「どうもこの店は訳有りに見えるんだが、裏の顔は何だ?」
「表も裏も火薬屋だ、爆発物を扱ってる。謎解きがしたいなら後にしろ」
 相変わらずの口調で告げて、スヴェルは店の扉を押し開けた。