Novel

COMPLEMENT
19 Consideration Suspended

「ボロ屋のじじいがボケてた」
 うたた寝をしていたところに開口一番救いようのない言葉を吐き捨てて、スヴェルは乱暴に紙袋を放り投げた。近付いてくる足音を聞き取り、自然と目を覚ましたのは眠りが浅かったためだ。紙袋を乱雑に扱うくらいなのだから、中身は衝撃に強いものなのだろうと判断して適当なところで受け取る。
 スヴェルは座席を倒し、二人分のスペースを消費しているエルフレダを睨めつけて、不愉快と言わんばかりの態度で船に乗り込んだ。
「あれは良くねえ。うちの商売相手が減る。おい、起きろエルフレダ。ヘイズも何わざわざこいつに上着貸してやってんだ、遅れた理由を先に言えっつうの」
「幼馴染に対して扱いが酷いなー君はー。人が折角約束取り付けてきたっていうのに」
「気ィ使ってやる必要もねえだろ、お前相手じゃ」
「あーでもこれでやっと帰れるね」
 不貞腐れながら起き上がったエルフレダが上着を差し出してくる。眠そうな目を擦っているところからしても、元からあまり眠ってはいないのだろう。目元の隈が明らかに寝不足であると自己主張している。
 さらに明確なのはスヴェルの機嫌の悪さだ。幾ら元が嫌味な男でも、ヘイズが見る限りエルフレダに対して八つ当たりしかしていない。
「何かあったのか?」
 当たられるエルフレダに同情しないわけではないが、流石に不憫に思って問いかける。
「通貨のレートがやたら変動してる。おかげで仕入れるにも物が高い」
「なんだそんな事か」
「そんな事じゃねえ、死活問題だ」
 即座に否定し、スヴェルは続けた。
「おまけに嫌な事を聞いた。じじいのたわ言だと思うけどな」
 頭を掻いて、自分で放り投げた紙袋を寄越せと言って中身を探り始める。紙袋から覗いた乾パンを頬張り、スヴェルは続きを口にしようと飲み込む。その中身が布製の何かだと思い込んでいたヘイズは、食べ物だった事に驚愕した。
「食い物を粗末にすんなよな、商人のくせに」
「ほっとけ。ウラジーミルの野郎――ダグのせがれか、よく来たなとかほざきやがったとこまでは良いんだ」
「ほう。なんて言ったんだい、じいさん」
 袋の残りをエルフレダに突き出し、スヴェルは荷台へ転がりこんで再び機材を弄り始めた。引っ掛けておいたヘッドフォンを片耳に宛がいながら、嫌そうな顔で言い放つ。
「そろそろうちの娘を嫁に貰う気はないか、だとさ。冗談じゃねえ。あんな女誰が貰うか」
「それだけ?」
「いやそんな事はどうでもいい。北の傭兵一団が行方不明になったんだとよ。心当たりはないかって聞かれた」
「なんて答えた?」
「知らねえって言っておいた」
 間髪入れずに問い返したエルフレダに曖昧な答えを返し、スヴェルは無線のつまみを調整し始めた。相変わらず電波を拾おうと挑戦しているのか、ヘイズには彼のしたい事がいまいち理解できない。一般の放送ならラジオでも十分に拾えた。
 気紛れと横暴に振り回されているように見えて割とマイペースを保っているエルフレダは、怪訝そうな顔で食料を探し当て、問う。
「北の傭兵って言えば、ヘイズもそうだね。エアドレイドには一人で?」
「守秘義務がある――と言いたいところだが、義理もねえな。俺の仲間は突然いなくなった」
 前金もなく、話すだけ話して忽然と消えた依頼人の事を庇う気にもなれず、ヘイズは溜め息をついた。
「傭兵つっても用心棒よりは戦争屋やってたからな。紛争地域に送り込まれるはずだったんだが」
「紛争地域? それだったらこんな非力な商人はここへは来てませんて。慎重だからね」
「そうだよな。事前情報もあったはずなんだが、実際に来てみりゃ驚くほど静かだ。何か俺達を呼ぶ理由でもあったのか――?」
 思い起こしてみればエアドレイドへ来てからおかしな事ばかりだ。偽物の情報、依頼人が消える。仲間が消える。訳ありそうな商団の男女二人組との邂逅。順番に整頓してみようと口元を押さえたところで、エルフレダがきょとんとした顔をこちらに向けている事に気が付いた。
「知り合いの情報屋紹介しようか」
 にやと笑んだエルフレダの意図を認識し、肩を竦める。
「金取るんだろ」
「貸しでもいいよ」
「いや、俺がはぐれてるだけかもしれん。どちらにしろ一度戻って確認した方が良さそうだ」
 一人一人消えていったのならまだ探そうとも思ったかもしれない。半分程が行方不明になり、組織の連中と一緒に探していたはずなのだ。翌朝起きた時にはもう半分もいなくなっていた。もう二週間も前の話だ。
 おかしいと確信し、依頼人を訪ねようと事務所へ向かったものの、依頼人の背後にあった組織も消えた事から危険を感じたのはいうまでもない。
 情報をいち早く掴もうとする商人の側にいても、それらしい話が入ってこない。スヴェルが先程口にした話が待ち望んでいたそれそのものだ。だがその割に、実際耳にしても大した実感が沸いてこない。
 まるで他人事のようだ。まさか全員死んだのではないかという恐れは完璧なまでに欠落している。考えた事がなかったわけではない。決して有り得ないとは言い切れない。
(考える事を拒否している? いや、そうじゃないな)
 戦場にいればいつ死んでもおかしくはない。常にそんな覚悟は付き纏っていたし、それは仲間に対しても言えることだった。
 例えば誰かに捕縛されている可能性はないだろうか。誰が、何のために――全く分からない。
 万が一組織を怨む者がいて、組織ごと彼らを一斉に葬ったのだとしたら。
(そんな都合の良い話もないだろうな)
 マフィアじゃあるまいしと胸中続け、一旦そこで思考を止めた。息苦しい。
 どこかにいるはずだという不確かな勘が働きながら、はっきりと言い切るだけの自信はない。言いえて妙な不快感だけが残る。
「ヘイズ、何か悩んでるようだけど一つ良いかな」
 パンを頬張りながらこちらの顔を覗き込み、エルフレダは心配そうな表情を浮かべた。
「何故こっちに来る事になったのか、思い当たる事はないの? 傭兵団の中にそういう関係者がいたとか?」
「いや、俺は末端で従ってただけだからその辺はさっぱりだ」
「君達は転々としていた。エアドレイドの正確な情報も知らなかった。最新の情報に乏しかったって事は規模はそんなに大きくないね。それをよく知ってる誰かが君達を利用しようとしていたかもしれない。そういう事も考えられない?」
 心を読んだかのような的確な言葉を並べて、エルフレダは水を飲み込んだ。中身のなくなったペットボトルを空のダンボールに放り込み、その音で機械に張り付いていたスヴェルの顰蹙を買う。
「あくまで可能性の話ね。女の勘ってやつです」
 ヘイズの反応が乏しかったのが原因か、咄嗟に付け加え微苦笑する。
「どうだろうな」
「エルフレダ」
 棘のある声音で呟き、ヘッドフォンを耳に宛がったままスヴェルは目を細めた。
「あまり面倒な事に首を突っ込むな。命殺がれながら生きてても損ばっかりで得はない。真相に辿り着いたら、命は返ってこねえぞ。俺の親父の口癖だ。クソ親父、金のために無茶ばっかりしやがって。思うように身動きも取れなくなっただろうがよ。お前もああなりたいのか」
 心底憎々しげに吐き捨てた。肉親だからこそ嫌になる部分もあるのだろう、スヴェルはエルフレダの反応も待たずに再びつまみを弄り始める。ヘイズとて所詮は他人の事だからとやかく言うつもりはない。
 傷ついて凹むかと思ってエルフレダの様子を見守っていたが、彼女はスヴェルの暴言に似た忠告を素直に受け止めるだけだった。
「それはいやだな」
「だったら大人しくしとけ。知らない方が身のためだ――と、ちょっと静かにしとけ」
 周波数を確認しながらスヴェルが周囲を制止する。目当ての物が見つかったらしく、ヘッドフォンを押さえて目を伏せた。
「紙と書く物いる?」
 ダンボールを音を立てぬように漁りながら、エルフレダが差し出す。元々書くために持ち込んだ紙ではないようだ。くしゃくしゃに丸められていたチラシを広げながら、ボールペンと一緒に手渡した。スヴェルはそれを目で追って、受け取る。
 暫く耳元に集中した後、何かを書き出した。
「何やってるんだ?」
 スヴェル本人に聞くのも躊躇われて、ヘイズはなるべく邪魔にならぬよう近くのエルフレダに向けて小声で囁く。
「信号傍受したんじゃないかな。手元見てみれば? 聞いたまま書き出してると思うよ。ここ最近ずっとあんな調子だったから」
「ああ……さっきまで機嫌が悪かったのは、欲しい情報が来なかったからか」
 荷物を運び込んでいる間にもしきりに無線を気にしていた事を思い出し、一人納得した。
「お前は読めるのか?」
 何気なく尋ねてみると、エルフレダは空になったパンの袋を片付けながら膨れ面を見せた。
「スヴェルに符号の読み方教えたのは私だぞ」
「それは恐れ入った」
「傭兵の話聞いても良い? それとも黙ってるのも契約の内かな」
「内容にもよる。どんな話が聞きたいのか、移動中の怖い話とかならいくらでもしてやるぞ」
「そういった類のものも良いなあ」
 冗談めかして言ってやると、女は興味深そうに目を細めた。実際、ヘイズが傭兵として体験してきた怖い話というのが、彼女にも怖いと共感できるかどうかは経験の問題だ。食料が尽きそうな時、弾薬が尽きそうな時、そんな恐ろしさは彼女には理解できないだろう。
「一番聞きたいのは、ヘイズが何を困ってるかってところかな。手を貸せそうな事だったら協力できないわけでもないし」
 商人に協力と言われても、あまり良い気がしない。
「……でも金取るんだろ」
 頼りな気に言うと、エルフレダは吹き出しながら笑い飛ばした。
「貸しでもいいよって言ってるじゃないか。もしかしたらこっちと関わりのある事かもしれないし。それだったら相互協力って事で利害は一致するでしょう?」
「だといいんだが。じゃあ確認しても良いか」
 本当にそうなるかどうかは、結局話してみなければ分からない。条件を先に提示しない限り彼らは動いてくれないだろう。そういう人種だと理解していた所為で、余計にどこからどこまでを話して良いのか躊躇われた。
 エルフレダはスヴェルの顔色を伺いながら頷く。
「どうぞ」
「エアドレイド軍の軍服ってのは、緑か?」
「何を言うのかと思えば――うん、基本は茶だけど野戦服は緑がベースみたいだね」
「レブナンスは?」
 不意に問いかけた単語に、エルフレダは目を丸くした。暫く思考する素振りで口元に手を当て、俯きながら唸る。別におかしな事を聞いたつもりはない。
「通常は浅黄で野戦は灰色だったかな。あそこは白い軍服があって、あれは特殊部隊のやつだと思ったよ。細かい仕様は分からないけど」
「て事は、俺を呼んだ奴はエアドレイドの軍関係者か」
 若い主の背後に控えていた軍服姿の兵士の姿を思い出し、確信する。
「よくよく考えれば、軍絡みの人間が紛争の鎮圧に協力しろってのもおかしな話だな。コマンド部隊って事もなさそうだ」
「ゲリラ部隊かもね。エアドレイドには小さい公国があったんだけど、統合してから歴史も浅いし未だ反感を持ってる連中がいるのかも」
「因みにその野戦服は」
「エアドレイドと同じ緑。ほとんど区別がつかないよ。ただ徽章がついてないから、そこで見分けるのさ」
「詳しいな」
 あちこちの勢力を見てきたヘイズでさえ、大雑把な特徴はともかく内部の細かい事情まではよく知らない。依頼人からの情報と、リーダーに聞かされた通りの情報で判断していた己の情報力がいかに不足しているかを思い知った。
 記憶を探りながら次々と答えるエルフレダに感心するばかりだ。
「うちの父さんがその手に詳しいの。エアドレイド行くなら覚えとけって言われてね。残党がゲリラ活動してるって話だよ」
「その線で調べてみるか――放っておく訳にはいかねえし。ただ一旦戻らない事にはツテがないし、どうにも……」
 そこまで洩らしたところで、エルフレダが自身を指差しているのが視界の隅に映った。
「知り合いに情報屋がいるって言ったろ。エアドレイド内にも仲間がいるよ、商団うちは商売するのは個人間が基本だけど、元はギルドみたいなものだからね」
「エルフレダ」
 機嫌が戻ったと思っていたスヴェルが、再び不機嫌そうに声のトーンを落として会話に介入する。
 折り目だらけで皺くちゃになった紙をさらに破り、エルフレダに突き出す。怪訝な表情でそれを広げながら、エルフレダは口を噤んだ。
『・--・ ・-・ ・・ -・ -・-・ ・ / ・--- ・- ・・ -- ・ / ・- -・・・ -・・ ・・- -・-・ - ・ -・・ / ・- - / - ・・・・ ・ / -・・・ --- ・-・ -・・ ・ ・-・ ・-・-・- / ・・ -・ ・・・- --- ・-・・ ・・・- ・ -- ・ -・ - / --- ・・-・ / ・-・ ・ ・・・- -・ ・- -・ -・-・ ・ / ・・ ・・・ / ・・・ ・・- ・・・ ・--・ ・ -・-・ - ・ -・・ ・-・-・-』
 中には何か暗号めいた記号が並んでいたが、ヘイズにそれを読み取る事は出来なかった。
 難しい顔をしてエルフレダが首を傾げる。スヴェルはそれには何の反応も示さなかった。
「面倒な事になってるみたいだね」
「何があった」
 二人の間で既に会話が成立している事に気付き、ヘイズは一人疎外感を感じた。エルフレダに尋ねてみると、彼女はスヴェルが顎で促すのを確認した後、紙に書かれた符号をそのままゆっくりと読み上げる。
Prince Jaime abducted at the border. Involvement of REVNANCE is suspected.公子国境にて拉致される。これにはレブナンスが絡むものであると推測される
 耳に馴染みのある北方の訛りだ。物騒な事を言うものだ。そんな感情が全て顔に出ていたのかもしれない。
「私らはちょっと普通の商人とは違うと思うよ」
 エルフレダは苦い表情で無理矢理笑みを作った。