Novel

COMPLEMENT
17 Infernal Spectacle

 例えようのない不安を腹に抱えたまま、藍羅は指示された通りに椅子に腰を下ろした。言われたまま従う以外に何をして良いのか分からなかったのだ。エアドレイドの目的も、ブラッドの現状も、ハウンドが命じられた任務も、藍羅には何一つ分かる事がない。
 だからこそ自分に課せられた任務は遂行しなければならないというプレッシャーがあった。それは周囲の研究員にとっても、待機している兵達にとっても何も変わらないだろう。
 大きな窓枠に分厚い防弾ガラスを填め込んだ機械だらけの部屋の中心で、藍羅は目を瞑る。魔法を御するのに必要なだけの機材は目の前に揃っていた。入力用のキーボードと、解析用のモニターをコンパクトにしたゴーグルと、そして己の意思。
 魔法はホログラムを参考に分子の構造から組み直して行く物であったため、自分の頭と手を使って発動させるには膨大な時間と記憶力が必要だった。予めプログラムを組んであっても、それを実行していくには知識が必要になる。
(ちょっとしたものだったら、ブラッドにも扱えるようになったんだっけ)
 ふとそんな事を思いながらキーを弾く。今この場で考えても意味のない事だ。
「姫、始めて下さい」
 サージェの短い呼びかけに、無言で頷く。研究員らによって選ばれたものがそれ程難しくない事に気が付き、少しばかりほっとした。
 画面を動き回る数字の羅列が、まるで催眠術のようで目に痛い。注意して目を凝らすと、眩暈らしき視界のぶれを感じた。精神的なものだろうと決め付け、意識を数列に集中させる。
 コンソールを叩く規則的な音がどこからともなく聞こえ、自分の行動が全て如実に記録されている事を悟る。
 別に行動を監視されているわけではないのだ、これから起こす手品の成果を文字と映像に置き換えるだけだ。そう思おうと努めてみたが、見張られているという環境に大差はない。気が散って仕方なかった。
 邪念を追い払うにはどうしたら良いか。こういう時にどうしたら良いのか知らない藍羅は、雑念に邪魔されぬよう細心の注意を払いながら、いつもと同じようにキーを叩くだけだった。
「国境警備隊のいる向こう側に空白地帯があるのが分かりますか」
 私情を押し殺して告げるサージェに、短く答えた。
「座標を頂戴」
 難解なXとYの座標も簡易化されたプログラムの前では、読み込んだ地形データに合わせてテンキーと矢印で調整するだけだ。藍羅が指示に応じて作業を一つ一つ確実にこなしていく傍ら、サージェは紙媒体を横に除けながらモニターを凝視した。
「一つ聞いてもいい? あたしに魔法を撃たせたいだけなら、何故中将達はあんな大勢でここに構えてるの?」
 背中に向けて投げかけられた藍羅の問いは虚しく、部屋の沈黙に飲み込まれる。誰も答えなかったのは、回答を知らないからではない。藍羅一人を守るために第五師団を派遣する程、アイザックが過保護なわけでもない事は彼女ら親子を知る人間なら皆知っている。
「万が一の時に動いてもらうのさ、姫君。こればかりはブラッドが馬鹿みたいに力を持っていても敵わんからな」
 誰一人言葉を返してやらなかった事を不満に思ったのか、サージェは惜しむように息をつきながら呟いた。
 つまり、そうならないよう上手く事を終わらせ、なおかつ相手がそのまま諦めてくれる事を願うしかない。そんな事が有り得るはずはないと理解していながら願わずにいられないのは、アイザックが手持ちの最大の駒を投入してきた所為だろう。
 国境に力を傾ければ、エアドレイド以外の侵略を受ける恐れだって十分に考えられた。
「ジェネレーター起動、出力は十分です」
 部屋の隅から端的な声が聞こえ、アイザックの事は一先ず置いて置く事にした。
 魔法の発動原理は実に異常であると言える。植物状態に陥った人間の脳の信号を、インターフェースを介して機械で出力する事ができるようになったのは、もう随分前の事だ。義手義足の操作は神経と結合する事ができるようになっていたし、応用する事を考えたアイザックはやはり凄い人ではあると娘の藍羅でさえ思う。
 理論上では出来る事でも、実際に目に見えるように証明する事は難しい。それをこんな危険区域でやってみせよなどと言うのは。
(やっぱり馬鹿だわ、父様)
 前々からどこかおかしいと思っていたが、どこかでネジを落としてきたに違いない。胸中で呆れ返り、実行準備を整える。藍羅が準備完了の合図を送ると、サージェは短く頷いた。モニターを確認しながら、洩らす。
「上空に積乱雲が発生し始めました」
 脳内で発せられる伝達信号と周囲の素粒子分解を関連付ける事が出来るようになってしまった現在の恐怖を、エアドレイドはまだ知らない。
 
 レシーバーを手に、リブレは一つ深呼吸をした。お前達には本部とのやり取りを担当して貰うと説明され、席についてから一時間程。そろそろ何かが始まるだろうと予測していたが、実際に声が掛かるまでにはもう少し時間があるようだった。
 背後に立つロドヴィコに注意を奪われ、心底そこから退いて欲しいと思いながらも口にできずにいる。隣に席を構えたマーシャが同情めいた視線を投げかけてきたが、それに応じる事なく肩の力を抜いた。
 現場での失敗は全体に影響する事をよく知っている。散々軍曹に叩き込まれてきた事であったから、恐怖という形で身に刻まれていた。
「焦って分速70字では話にならんからな、落ち着いて行け」
 ロドヴィコのからかったような言葉に阻まれ、顔を上げる。ぽんと肩を叩かれ、リブレは嫌悪を顔に出さないよう短く息をついた。
「現場は100字が標準です、僕は110字まで処理できます」
「機械に太刀打ちできるのかお前」
「機械送信は大体120字程度であります、少佐殿」
 通常の文字が符号に見えてくるようにまで刷り込んだのだ。死ぬ気で覚えたからなどとは言わない。現場に出てしまえば、そんな事何の自慢にもならないのだ。未だに眠っている間に魘される事もあるが、それで実際に役に立つものになるのなら、それはそれで構わないとさえ思っている。
 マーシャがロドヴィコに隠れて軍服の裾を掴む。何かと思って振り返ると、マーシャは困惑の表情で耳打ちした。
「少佐殿に乗せられすぎてるぞ」
 妙な事を言う女だと思った。少し間を置くと、改めて指摘された事で、ロドヴィコの挑発に乗せられていた己を自覚する。
「いやな事言わないで下さいよ」
「いつも通りにこなせば良いだけだ、何も心配はない」
「……緊張してるのは伍長殿の方じゃないですか?」
 素直に問うてみると、マーシャは言葉に詰まった。どうやら図星だったらしい。電鍵を前にマーシャはぎこちなく手を置いた。これは深刻だ。
「本部への連絡ですよ、いつもと立場が逆なだけです。索敵じゃないから命を落とす危険もそうないし」
 適当なフォローを入れて机に向き直る。
「なんでお前は、いつも一言多いんだ……」
 マーシャは独り言を呻きながら、レシーバーを耳にかけた。丁度その頃ロドヴィコからの声がかかり、会話から逃れるには丁度良い機会となった。
 部屋の中央に展開するモニターに外の景色が映る。設置された定点カメラの映像と、実際に窓から見える外の気候に差は然程なく、どんよりとした雪空が広がっている。定点カメラからの映像でただ一つ違うところがあったとすれば、それは黒ずんだ雲の塊に他ならない。
 悪天候続きで年のほとんどを雪に埋もれて過ごすレブナンスにおいては、珍しいとも言える光景だ。
「何ですかアレは」
 思わず声に洩らす。背後に佇んでいたロドヴィコは満足げに頷いた。
「自然界に存在する最小単位の物質を素粒子と言うらしいんだが、それを分解して人の意思で思った形に再構築するといったものらしい。度を過ぎた科学は魔法だな。或いは錬金術だ」
「レブナンスの技術はそこまで来てるんですか、グラフィックじゃあるまいし」
「だから魔法マナと呼ぶんだ」
 馬鹿げている。そう吐き捨てようとして、それだけに納まりきれそうにない事に尚更呆れた。
 耳にした一連の言葉の中から聞き捨てならない物を見つけ、反芻する。今までの己の常識感で考えられない事を人の意思で行えるというのなら、今回のふざけた一連の騒動は全てこの実験のためのものに過ぎないとでも言うのか。
 誰が――そこまで考えが至ったところで、思考に時間をかけるのは無駄だと悟った。
 最高権力者であるアイザック・レブナンス以外に可能性のある人物は存在しない。
「なるほど、皇女はそのための材料に過ぎないってわけですか」
 魔法なるものが科学だと言うのなら、所詮は数字と記号の羅列に過ぎない。魔法科学の権威であるアイザックの娘・藍羅は、魔法発動のための媒体としてしか見られていないと言える。
 反吐が出る。
 とてつもない不快感を押し殺しながら、命令が入るのを待った。作業に専心してしまえば余計な事を考えずに済む。
「周波数は合わせてあるな? 回線を開け」
 利き手は筆記のために空けたまま、電鍵を左手で確認する。ロドヴィコに声に合わせて他の兵が応の言葉を返した。耳を擽る高音は一定のペースで同じ電文を繰り返してきている。通信内容はまだ状況報告程度だ。確認の言葉を送ってきたので、傍受したリブレは了解の一言だけを送る。
 モニターの中の空はどす黒く染まり、実際肩に重りが乗ったように空気が淀んでいくのを感じる。渦を巻くような気圧の波に頭痛を覚え、顔を顰めた。
「これが魔法だって言うのか」
 ロドヴィコが唸る。
 地鳴りのような音に驚き、顔を上げる兵の姿もあった。上空から聞こえている事は分かったが、あからさまにそれが自然に発生したものでない事はモニターを覗けば分かる事だ。慌てて撤収を始める兵士の映像が映り、雷鳴がそれを待つ。魔法と呼ぶにはあまりに自然的な発生で、自然現象と呼ぶにはあまりに人為的な不自然さを感じた。
 今にも大粒の雨の降り出しそうな雲が空を覆い隠し、その狭間に雷光を帯びる。下腹に響く音に邪魔され、聴力を確かめながら電鍵を叩いた。
 発動者への連絡は、この通信室を介して担当官が送っているのだろう。計ったようなフラッシュの所為で、白い光景が目に焼き付く。
「確かにこれじゃ、通常の通信だと電波妨害も良いところですね」
「照明が落ちても慌てるなよ」
 実際に照明がちらつき始めているところを見ると、本当にそうなりかねない気がした。
 ばたばたと廊下を駆け回る複数の足音に気を取られていると、生文での通信が入る。脳は音をそのまま言葉に翻訳していたので、内容は考えるまでもなかった。
「来ます」
「直視するな、目をやられるぞ!」
 口頭でロドヴィコに告げると、彼は即座にその場にいた全員に注意の一言を吐いた。
 一瞬の閃光に息を呑む。光ったと脳が知覚するとほぼ同時に、轟音が鼓膜を震わす。レシーバーから聞こえてきていたはずの通信も、待機と連絡が来たきり途絶えた。
 びりびりと空気を振動させる雷光に身を竦め、収まるのはいつかと頭を机に近づけた。指先が痺れては使い物にならず、丁度通信の必要も薄れていていたので手を引っ込める。地震のような地響きは一分程続いた。
「喋ったら舌を噛みそうだ……」
 天井の照明が裂けんばかりに音を立てる。先程から点滅でまともに機能しなくなったそれは、何度か同じ挙動を繰り返した後、ぶつりと糸を切らしてショートした。床に這ったところで、体の芯から痺れるだけだ。
 機材が小刻みに震えを伝え、徐々に納まってきた頃、ロドヴィコがモニターの中を再度確認した。
 モニターの向こうは焼け野原と化し、最早別世界である。
 誰もが息を呑んだ。出る音は声ではない、掠れた音の塊が喉に引っ掛かったまま誰も何も話そうとしなかった。否、表現するための単語が思い浮かばなかった。
 カメラが周囲を探りに回転やズームを始めるものの、そこにあったはずの植物は全て焦げ付き、土は黒く焼け付き無惨な有り様を相している。中心に映る大木だった黒い墨も砕け散っている。そこに落ちたのだろう。見事に人のいない場所に落ちたが、人がいればどうなっていたか――丸焼きになった肉の放つ悪臭は想像に難くない。
 さながら地獄絵図の具現だ。