Novel

COMPLEMENT
14 Grooved Recoil

「死人?」
 思わず口を突いた言葉を洩らし、反射的に問い返す。
「死人とはどういう事でありますか?」
 なるべく冷静を装って応えたものの、ハウンドはじっとこちらを見据えたまま目を動かさなかった。動揺を悟られるわけにはいかない。自分は何も知らないのだ。
 暫くそうしていると、ハウンドは埒が明かない事に業を煮やしたのか、気まずそうに肩を竦めた。
「リブレ・アナレスという、身寄りのない孤児の死亡が確認されている。確か四年前だったな」
「厚かましくも申し上げますが閣下、恐らく同姓同名の別人のことだと思うのですが――自分の両親は存命ですし、四年前は中等教育を受けてました」
「まあ良い、いつでも聞ける話だ」
 短く告げ、ハウンドはそこで一息ついた。
「アルフィタの名門テオドール家の長男、リヴィオ・テオドールが行方不明になっている。これについても情報を掴み次第、早急に報告しろ。任務についての説明は少佐に任せる」
Aye, Sir.アイ、サー
 凡そ作戦とは関係のないところにある名前を口に、萌黄の軍服は背を向けた。数人の部下を伴って特設の建物の中へ姿を消す。目の前を通り抜けるハウンドを見送って、こちらに視線を寄越したのは見慣れぬ男だった。やや細く、歩兵訓練を受けてきた印象を感じさせない体格に、やけに上品そうに映る顔立ちが気に掛かる。ハウンドのいう少佐が彼だろう事は、階級章から分かった。
 レブナンスの本部よりも若干暖かい待機所に合わせた格好で佇む『少佐』は、軍人と呼ぶには似つかわしくないように思える。自分よりも上の階級にある人間だと理解したところで敬礼する。
 『少佐』はにいと笑んで休めと呟いた。
「ロドヴィコ・グリエルモ少佐だ。宜しく頼む。あ、先日昇級したばかりだし、そんなに緊張しなくても構わないぞ」
 くだけた性格というよりは、馴れ馴れしささえ感じさせる口調に嫌悪感を催す。違和感を覚えて原因を探ろうと腹で考えている間に、口は自然と動いた。
「上下関係は厳しく律せよと教えられてます」
「堅い奴だな。細かいことばかり気にしてると早くハゲるぞ」
「お言葉ですが。その『細かいこと』を欠くだけで、即戦死すると訓練されているのであります」
 言い返せばロドヴィコは不満そうに鼻を鳴らして、まあいいやと肩を落とした。内心ハラハラしながら様子を見守っていたマーシャに気が付いたのか、ロドヴィコは顔を上げる。刺すような視線は真面目な態度を要求しているようで、リブレにとっても苦いものだった。
「我々の任務は索敵ではない、報告だ。二人とも指示があるまで待機していてくれ」
 ロドヴィコが息を呑み、呻いた。胸の内で気持ちの悪い渦が巻いているのを感じ取りながら、リブレは軽く目を伏せた。
 いやに覚えのある感覚だ。本部にいた頃に感じたものとよく似ている。
 どこで、いつ、それを思い出そうとして何かに阻まれる。
 記憶を探るのは困難だと気が付き、ふとマーシャの方を振り返ると、彼女はえらく難しい顔で迎えてくれた。へらへらと芯のない笑みを浮かべているロドヴィコとは大違いである。
「伍長殿。何か気掛かりな事でも」
「ああいや、何でもないんだ」
 声を掛けてみると、マーシャは慌てた様子で首を左右に振った。それでも表情は曇ったままだ。ロドヴィコの怪訝な顔が視界に入り、それ以上問い詰めるのはやめようと決めたが、マーシャの言動が気になって仕方なかった。
「……テオドール? 政治家を輩出している名門だよな?」
 確認するように唱えたマーシャの独り言は、リブレの耳には届いていなかった。
 
 白衣の研究員に囲まれながら、藍羅は溜め息をついた。前線と言っても開戦地域ではなく、軍のとりあえずの待機場所が設けられている施設である。大型コンピュータから用途の分からない大層な機材が、これでもかと言わんばかりに大量に押し込められている。
 不慣れな飛行による移動で疲弊した体が悲鳴を上げているのが分かる。酔ったのかと、あまりの情けなさに頭を抱えたい気分に駆られながらもサージェに案内されて部屋へ辿り着いた。
 途中で目の合った軍人の眼光があまりに鋭くて及び腰になり、咄嗟に浮かんだ言葉を置いてきたものの、また彼――ジョルジュ・ハウンドの念を押したような一言に気圧されるばかりだ。
 行き交う軍人と言葉を交わし、書面での報告を得たサージェはそれに集中するあまり、藍羅に声をかけてくることもなかった。
「具体的に、あたしはこれからどうすればいいの?」
 ハウンドの不穏な言葉が脳裏を駆け巡り、不安になる。活字と格闘しているサージェに耳打ちするように問えば、サージェは思い出したように書類から目を放し、頬を掻いた。
「我々は記録せよと命令されているだけで……合図があった時に、姫に魔法を発動させて頂きたいと聞いている以外は、私にもさっぱりだ」
「ちょっと待って。魔法一発発動させるのにどれだけ体力――というか、精神力ね、消耗すると思ってるの!」
 暗号のような記号を流し読みしながら、新たにそれを具現化させるためのプログラムを構築していくのは骨が折れる。当然目も痛くなれば、化け物じみた集中力が必要だ。あっさりと言ってくれるなと叫びたくなったところで、藍羅はずきずきと痛み出すこめかみを押さえた。
「魔法なんてようやっと数値化して、実体化させる事ができるようになった程度よ。実用化なんて程遠いわ。何考えてるのよ父様は」
「閣下はご存知でしょうね。その上で、エアドレイドを出し抜こうと考えられてるのでは?」
「ばっかじゃないの」
 子供の喧嘩のような考え方だ。頭ではそう否定しながら、しかしどこかで完全に思い込み切れずにいる。本当にそれが可能であれば、いくら武装した連中でさえたじろぐだろう事は、目に見えている。力には力で対抗してきたレブナンスだからこそ、他の手段を用いるようには思えなかった。
 だがその力に、藍羅自身が投入されるとは。
(流石にそんな事、考えた事もなかったわよ)
 非力な子供に出来る事など数少ない。藍羅が有効に使えるものといえば、国家元首の娘という立場だけだ。それもレブナンス国内に限った事である。自分は次男だからと嘆いていたエアドレイド公子であるスハイツとは、その辺りが根本から違った。
 ここには盾になってくれるブラッドもいない。味方と思っても良さそうな人間は、サージェだけだ。その彼女も先日自分を騙していたではないか。
 最早誰を信用して良いのか、分かった物ではない。
(武力をばら撒いて、バランスを取ったところで本当に解決するの?)
 魔法を簡略化したら良いとばかり考えていた自分が、あまりに浅はかな気がして思わず自問自答する。
 父親に利用されていると言ったスハイツは、まだアネモネに付き従われているのだろうか。急遽前線基地へ連れてこられた藍羅でさえ、数時間の移動距離だ。スハイツをさっさと返そうと思うのなら、同じ程度の時間をかけてとうに国に帰っている事だろう。
(公子誘拐の疑いで捕まったブラッドは、どうなったの)
 常に近くにいる人間の姿が見えなくなると、途端に心苦しい。
 ――それが目的だったとしたら?
 誰かが囁いたような気がして、周囲を見回す。サージェと慌しく機材の調整をしている研究員と、見張りの軍人以外はここにはいない。藍羅に声をかけてくる人間はいないのだ。
 口元に手を当て、不意に聞こえてきた囁きに耳を貸す。
(誘拐っていうのはたまたまそうにも見えたから、適当にでっち上げただけの言い訳で……本当は、あたしからブラッドを引き剥がすのが目的だった――のよね)
 誰が、何のために。当てはめていけば徐々に見えてくるような気がした。
(父様があたしをあの実験体と同じような扱い方しようとして、ブラッドが止めないはずがない。しかも馬鹿みたいに力を持たせちゃってるから、もしそうだとしたらなるべく穏便に剥がす必要がある)
 問題は何故そうなったのか、だ。考え込み始めると眉間に皺が寄り始めていたのか、サージェにぐいと額を押されて吃驚して目を丸くする。
「難しい事を考えているな、姫君」
「納得が行かないだけよ」
「現地がどうなっているか、聞きたいですか?」
 息をつきながら温い茶の入ったマグカップを差し出してきたサージェに、何も言わずに頷いた。
「スハイツ殿下の仰っていた通り、エアドレイド国籍の子供が迷子になって憲兵に声をかけたそうですね。最初のうちは憲兵も追い返していたそうですが――」
「まさか殴ったり撃ったり?」
「いや、問答をしている間に言いがかりをつけられたようで……こじれた事になったと報告があります。近くの浮浪者が通りがかって様子を見ていたらしいんですが、それが第三公子にしか見えないくらいそっくりだと言うんですよ。その上第三公子は、現在姿が見えない
「傍から見たら公子に銃を向けている隣国兵士にしか見えなくなったってわけ」
 呆れたものだ。藍羅は大袈裟に肩を竦めて肺に溜まった息を吐き出した。それが本当なら、騒ぎのきっかけというのはあまりに些細なものだ。藍羅には到底、旅団が一つ停泊するほどの問題が起きているようには見えなかったのだ。
 中将まで現場にいるというのは、異常でしかない。
(あたしがここにいるから、中将まで出てきてるって可能性はあるけれど)
 それならブラッド一人寄越してくれた方が余程安心できるし、藍羅としても信頼できた。益々アイザックの考えている事が分からなくなり、悶々とした気持ちのやり場に困って途方に暮れる。
「国軍が国境に並び始めたら、こちらとしても黙っているわけにはいかない。現状はそんなところですよ」
 淡々と答え終えたサージェが書類を膝の上に置きながら、頬杖をついた。達観しているようで、何か悩んでいるようにも見えるサージェを見ていると、ろくでもない考えが浮かんできた。
「――サージェ、何か今、とてつもない事を思いついたんだけど」
 口篭りながら呟く。
「もしこれが、エアドレイド国王が仕組んだ事だとしたら? エアドレイドはとても大人しい国だったけど、本当は何考えてるかなんてあたし達には分からないし。国境で公子そっくりの子供が見つかったって聞いて、それを公子に仕立て上げたのだとしたら――?」
「姫」
「わざわざスハイツ殿下が来たのは、なるべく穏便に済ませたいっていう意思表示ではなくて、本当は宣戦布告? まずいわよ、殿下は実験体の事を知ってる」
 確信の持てぬ事をぼやきながら唸っていると、不機嫌を顔に出したサージェと目が合った。暗に、それ以上を口にする事を止められているような気がした。
「憶測の域を出ないが、概ねそんなところだろう。どちらにしても、閣下の科学者としての好奇心を満たすには、この騒ぎは丁度良かったわけだ」
「どちらも自分達に都合の良いようにしたいわけね」
「そういう事だ。我々は従うほかないし、出来る事があるとするのなら本部が動くだろう。そんな事まで考える必要がないんだ」
 戸惑いながらもそう言ったサージェには同意できる。しかし藍羅は、どうしても納得のいかない事に首を縦を振るにはまだ若かった。むっとした表情で黙り込んでいると、部屋の入り口の辺りで白衣の研究員がサージェに声をかけるタイミングを計っている。
 藍羅は気にせず視線を逸らした。すると研究員は頭を下げ、サージェに声をかけるのだ。
「準備に入ってください、とのことです」
「本部からの連絡は? スハイツ公子はどうなった」
「まだ、本部にいるそうです」
 サージェの問いに躊躇いがちに答え、研究員は困った様子を見せた。藍羅の見えないところでサージェが睨んでいたのだろうか、ややその場から逃げたそうにしているところを見ると、同情しないでもない。
「殿下が帰ってくれない事には言い訳も立たないぞ。ブレイズ大佐の方は?」
「普段通りです。――というか、そのブレイズ大佐ですが……」
「なんだ」
 言葉に詰まりながら、研究員は続く報告を渋る。苛立ちを見せたサージェに怯えながら、恐る恐るサージェに耳打ちした。藍羅には聞き取れぬところで、サージェの表情が見る見る内に驚愕の色に変わっていく。
 藍羅にはブラッドの名前と、その反応だけで十分だ。
(ああ……また何かやらかしたんだわ)
 一見非常事態にも見えるような現状に置いてですら、あまりにいつもと変わらないブラッドの行動を予測できるような気がして、そんな事を思いながら藍羅は呆れた。