Novel

COMPLEMENT
13 Enhanced Whirl

 傍らに考え事をしているトライベルを置き、リブレは軍帽を被り直して短く息をつく。アネモネに指示された通りの仕事は、何の弊害もなくこなしてきた。アネモネがスハイツ第二公子から情報を引き出している間にブラッドを足止めし、実質ろくに機能していない第十二旅団の機能を無効化する事。
 またその一方で、スハイツが外部と接触を持とうとするのなら、その内容を記録する事。そしてその手段は問わないとする。
 通信大隊にいたリブレにとっては、造作もない事だった。
「リブレ」
 呼び止められ、振り返る。トライベルは個人に応対する時と同じ態度ながら、生真面目な表情をしていた。
「今回の作戦の指揮は第五師団司令官、ジョルジュ・ハウンド中将が執るそうだ。齟齬のないよう心して望め」
 移動用のヘリの前で数人の武装兵を従えて佇む将官の存在に気が付き、敬礼する。普段制服組とあまり接点がないとは言え、襟元の階級章を見ればすぐにその正体が知れる。
 ジョルジュ・ハウンド。名前はそう聞いている。
 左襟に緑の太いラインが二本、肩口の階級章は中将を指す物だ。肩ほどまである髪を束ねているところはブラッドとそう大差なかったが、こちらは自分と比べて随分年齢が上のように思えた。しかし将軍と呼ぶにはアネモネ同様、あまりに若すぎる。
(大佐か中佐といった方が納得のいく若さだけど。他人の事を言えた立場ではないか)
 十代にして伍長であるトライベルに然程違和感はなかったが、航空兵なら歩兵より昇進が早くてもおかしくはないように、考え始めてしまうとブラッドもアネモネも充分に年齢不相応に感じられたので、それ以上は何も考えない事にした。
「第三戦略機動師団のトライベル伍長、並びにアナレス上等兵、只今をもって本作戦の指揮下に入ります」
 トライベル――マーシャが姿勢を正して一息に告げると、ハウンドは硬い表情のまま応じる。
「待っていた。今作戦では電波妨害による甚大な被害が予想される。よって通常とは違う通信手段を用いる事になった。こちらには即座に対応できる通信兵がまだいない。貴様らは優秀な通信部隊だと聞いている。手を貸してもらうぞ」
「は。閣下、作戦合流前に一つお渡ししなければならないものがあります」
「今、必要な事か?」
「モントジエ中将閣下から合流前に直接手渡すこと、と口頭での言伝を預かっております」
 はっきりと告げ、リブレが小さいディスクの入ったプレイヤーを差し出す。士官学校時代から付き合いのある工兵科の知人に、無理を言ってふざけて作らせた小型の盗聴器がこんな形で役に立つとは、リブレ自身思っていなかった。
 周波数を拾ったのはリブレ本人だったが、それ以外はその知人に任せてある。微調整こそ効かないが、狭い範囲での盗聴ならそれで十分だ。残りは全て知った上で命令を下してきたアネモネが確認すれば良い。
 ハウンドは眉を顰めながらディスクを受け取った。
「移動中に確認しよう」
 口頭の意図を理解したのか、短く頷きハウンドは続ける。
「本作戦の目的は藍羅第一皇女の身辺警護、ならびに敵勢力の無力化。我々に与えられた任務は後者だ。詳しい内容と暗号に使われる符号は書面に記載してある。内容を頭に入れたら燃やして破棄しろ」
(中将閣下自らの説明とは――)
 最早異例の抜擢どころの話ではない。異常だ。美味い話には代償が付き物だ。そこには必ず裏がある。
 間に大佐も少佐も入ってこないとなると、流石のリブレでも内心穏やかではない。マーシャは紙面の文字と格闘していたが、書かれている内容はほぼ予想した通りのものだった。
(僕達に査問の真似事をしろと?)
 掻い摘んでも、どう読み返しても外部の諜報部隊による隊内部の調査としか思えない。監察の仕事であって、己らの触れる場所ではない。しかし目の前の男がそう命じるのだから、軍人であるリブレには従うほかなかった。
 最高指揮官であるアイザック・レブナンスが、国境の問題を彼に一任している事はリブレらは知っている。つまり、そのディスクの記録内容を聞いたハウンドがどう動くか。問題の解決はそれにかかっているのだ。
 中将の部下らしき灰軍服の男から受け取ったらライターで紙を燃やす。凍えるような寒さの中、一時の暖を取るように温まる手元を無言で眺めながら、それが燃え尽きるのを待った。
「不審に思っているかね」
 突き刺すようなハウンドの言葉に胸中を読まれた気がして、心臓が跳ね上がる。
「そう思うのも仕方ないだろうな」
「お言葉ですが閣下、私はどうも……適切な人選ではないと思うのですが」
 マーシャが申し訳なさそうに声をかける。どうやら彼女も同じ事を思っていたようだ。彼女が口にしていなければ、リブレが問うていたかもしれない――本当に降りる気があるのであれば、だが。
 所詮与えられた任務を遂行するだけの駒でしかない。それを幸運と思うか、己の実力と思うか。それはそれぞれだろうが、自身が強欲で傲慢である事など己が一番理解している。
「どこぞの暴れ馬を御しているというだけでも、適切と思うが。何より推薦者がいる」
 聞き捨てならない言葉を洩らしたハウンドは、リブレと視線が合うとすぐさま咳払いをした。
 ヘリに乗り込み、無言でハウンドと対峙する。彼の周囲にいた灰軍服は他の機体に乗り込んだらしく、ハウンドと自分達二人以外には、操縦士しか見当たらない。異様な重量感を持った空気が辺りを漂い、プロペラの回転音と共に聴覚が遮られる。暫くするとヘリは浮上したらしく、小窓から見える景色は空に変わっていた。
 声を発するにはそれなりに大声を出さなければならなかったから、どう会話を成立させたものか分からない相手に声を掛けられる心配もそれほどなかった。
 アネモネも無茶を通したものである。
 将軍が下士官ですらないリブレに目をつけ、任務を任せる事自体が常識外れの異例の抜擢だ。認められているのだろうという優越感と共に、底知れぬ恐ろしさが脳裏に過ぎる。
(贄にされてるのは、僕の方か?)
 いつ切り捨てられるか分からない捨て駒にされた気分だ。マーシャが黙り込んでいるのもその所為だろう。普通なら疑問に思うと同時に、プレッシャーに押し負けてしまう。
「お前達は士官学校の出身だったな。ミズーリ・トリストラムから聞いている」
 正面に見えるハウンドがプレイヤーに差し込んだイヤホンを手にし、口を開いた。唐突に口を利いたと思ったら、記憶を深く抉られるような言葉に唖然とする。一般兵士の間ではあまりに刺激が強すぎて話題にするのを憚られるあの鬼教官か、と胸中で呟き、問い返した。
「トリストラム軍曹からでありますか?」
「あれは私の姉だ。その年であれの訓練に耐え抜いたどころか、首席だったそうだな。モントジエ中将からも話は色々聞いている」
「恐縮であります」
「士官学校を出ていたにも関わらず、下士官への任命を断ったのだそうだな」
 思い出すのも忌々しい士官学校時代の話を振られ、リブレは苦渋の色を浮かべながら答えた。士官学校時代から軍に在籍していた所為で、それがまだ最近の出来事であるという感覚は薄い。
 その教官の弟だと名乗った目の前の中将に対して、驚愕の事実に震えるよりも寧ろ呆れてしまった。言われてまじまじと観察してみれば、確かに血縁と呼べなくもない特徴はあるようにも思える。
「モントジエ中将とトリストラム軍曹からの推薦だ。トライベル伍長、アナレス上等兵。お前達は只今を持って第五打撃機甲師団、ジョルジュ・ハウンドの指揮下に入ってもらう。お前達には私の手足として動いて貰う事になる。私はアネモネとは違う事を理解しておけ」
 権力を持った者の推薦の力が強く影響をしている事は、アイザック・レブナンスを見れば分かる。毅然と告げたハウンドは手にしたプレイヤーの中身を聞いたのだろう、イヤホン片手に口端を歪めて見せた。
「アイザック・レヴェリエは突拍子もない真似をするのだな。良かろう、その期待に応えてみせよう」
 レブナンスを名乗る以前のアイザックの名を呟き、外に見えるもう一機のヘリを一瞥する。そこに誰がいるのかは、聞かずとも察する事ができた。
 藍羅・レブナンス。アイザックの愛娘でありながら、軍属の研究者が必死になって模索している魔法化学の研究にも手を貸しているという話がある。
(贔屓めに見ても、彼女には実績があると見て間違いないと)
 しかし子供だ。戦地に派遣される理由が分からず、軽く目を伏せる。
 実験か、視察か。わざわざ緊張状態にある国境へ向かう程なのだから、前者である可能性が高い。顔を上げると、難しい顔をしているハウンドと目が合った。
「アナレス上等兵、確認しておきたい事がある。前線に出た経験は」
「ありません。銃も教練程度です」
「トライベル伍長は一度あるのだな。現地語での通信は?」
「問題ありません」
「良い。お前達の上官にあたる曹長はこの道二十年のベテランだ。では一つ言っておこう」
 両者に確認を取った後ハウンドは一息置き、そして念を押すように、ゆっくりと続けた。
「例え馬鹿な事をと思っても上官には楯突くな。聞き飽きた言葉だと思うだろうが、私からの警告だ」
 告げられた内容が飲み込めず、思わず息を呑む。それはつまり。
(駄目な上官がいるって事か? 中将が注意するほどの)
 士官学校時代に散々言い聞かせられた言葉を思い出し、眉間を押さえたい気分に駆られる。ハウンドはなんとも言えない苦笑をこちらに向けたまま、一つ頷いて意識をイヤホンへ向けた。
 外は相変わらずの曇り空で、雪の残る大地が足元に広がる。使い慣れた通信符号を思い出しながら、頭から雑念を追い出そうと目を瞑る。ハウンドはそれ以上何も声をかけてこなかった。
「寝言でモールス信号を呟かれなくて済むかな」
 そんな一言が耳元で聞こえ、視線だけを返す。マーシャは強張った表情で俯いていた。
「気分が悪いんですか?」
「いや、ちょっと緊張で……」
 脂汗の滲んだ額を拭うマーシャの顔色は良くない。乗り物酔いをするような性質ではない事は知っていたが、膝の上で手を組んでいる様子を見ると、普段と違う事を気にせずにはいられない。指先が微かに震えているのを、懸命に隠そうとしている。
室長中尉ならまだしも、中将閣下を前にいつも通りに指が動くか心配だ」
 そしてそんな事を洩らすのだから、リブレは呆れにも似た溜め息をついた。
「ああ、伍長殿はプレッシャーに弱いんでしたっけ」
「本部で外れを引かない事を願おう。なにしろリブレの通信は受け取りやすい、符号が綺麗過ぎて練習相手としては最悪だ」
「誉めるのか貶すのかどちらかにして下さい」
「完璧主義でいるためにはどれだけの気合が必要になる?」
「忍耐と精神力と、少しの心の余裕であります、伍長殿」
 皮肉を篭めて呟くと、マーシャは自嘲じみた顔で「そうか」と呻いた。相当切羽詰っているらしい。かけた言葉が余計に重荷になるだろう事を理解していながら、リブレは意地悪く笑んだ。
 ハウンドは私語を注意するでもなく、窓から外を覗きながら通信記録に聞き入っているだけだった。マーシャの気持ちは分からないでもないのだ。この状況に混乱せず、いつも通りに任務をこなせと言われても難しい話だ。
 足元の景色から徐々に雪の白が減ってきた辺りで、ヘリの高度が下がってくる。
 並行して飛んでいた隣のヘリや、後続のヘリも同様に地面へ近付き、遠くに見えていた黒い土の畑がすぐ目の前まで迫った。
 慎重に地面へ足をつけたヘリの扉が開き、差した光に目が眩む。駆け寄ってきた軍服が敬礼と共に、口々に状況報告を行っている。その中には佐官も混じっていて、改めて己らの立場の不自然さを実感した。
「準備は整いました」
「すぐに始めろ」
 隣のヘリから、赤髪の少女に支えられて出てきた藍羅と目が合う。藍羅は若干怯えたような様子で一歩後退り、咄嗟に付け加えた。
「被害は最小限に抑える事を前提に、くれぐれも無理はなさらないで下さい」
「……は。殿下も我々の手の届かぬところで、ご無理はなさらぬよう」
 少女の慌てた言葉に苦笑したのはハウンドだ。この場にいる数千の兵士が聞くのは彼女の命令ではない。藍羅自身もそれを分かっていたからこそ、遭えて言ったのだろう。士官学校時代から若輩で周囲から浮いていたリブレよりもさらに年下の彼女は、研究員らしき白衣との連中に囲まれながら姿を消した。
(あれでは取り巻きがついているだけで、被験体と扱いが変わらないな)
 やり場のない苦い感情を押し殺し、マーシャの方へ向き直る。胸に手を当てながら、深呼吸をしている彼女の姿がそこにあった。
「アナレス、これも確認しておいた方が良いかもしれないな」
 注意事項が繰り返されるのかと憂鬱な面持ちを覆い隠したところで、ハウンドが再び口を開く。
「リブレ・アナレス。お前は確か、死人のはずだが」
 今度ばかりは、突きつけられたのは驚愕以外の何でもない言葉だった。