Novel

COMPLEMENT
12 Barometer of Life

 聡明な女軍人は防寒用の上着を着込み、曝け出されたままの指先が凍りつかないように定期的に指を絡める。背後には隣国の王族が一人。大人しく己の後をついてくる。
 おかしな事になってしまった。
 混乱する現状に頭を抱えたい衝動に駆られながら、アネモネは呻いた。目を閉じれば微かに眩暈がする。きっと疲れているのだろうと決め込み、ゆっくりと振り返る。
「殿下、本当に宜しいのですか? 他に用事があったのではないかと思われますが」
「本音を言ったところで、君らレブナンスの人間が手を出せる問題ではないし。まあ僕個人としては、似ている子供の事は別にどうでも良いんだけど。公子としてはそうも言っていられないからねえ」
 スハイツは片眉を上げながら肩を竦めるだけだ。
「国民がその言葉を耳にしたら、憤死しますよ」
「だからここで言ってるんじゃないか」
 どこまで本気で物を言っているのか分からない相手に、本気で怒る気も起きない。アネモネは、どうスハイツを相手にしたら良いか分からない己への葛藤と、国家間の問題に関わりかねない事件の狭間で額を押さえたい衝動に駆られながら、自分が部下に下した命令を思い出す。
――エアドレイドの目的を探れ。手段は問わない。
 優秀な部下を揃えた団の事だ。手段を問わないと言われれば、法に触れる手段にさえ容易に手を出す。早々に情報の一つでも掴んでいる事だろうと期待し、その一方で公子から目的を引き出すための時間を稼ごうとしている。
 優位に立っているのは己らであるはずなのに、背筋を駆け抜けるこの奇妙な焦燥感は何だ。
 レブナンスとエアドレイドを比較するのなら、国力はレブナンスの方が優っているはずだ。スハイツの余裕の表情を見る度、エアドレイドは最悪の手を使ってくるのではないかと不安が過ぎる。
 この少年は間違いなく、良からぬ事を企んでいる。軍人としての直感がそう告げている。しかしそれを口にすべき相手が見つからない。アイザックはとうに知った上で、スハイツを泳がせているのだろう。
(そう思うしか、今の私に出来る事はないのか)
 老臣や老兵を追い出した軍は人手不足と言っても過言ではない。自分が立つ場所を間違えてはならない事をよく理解していたからこそ、今の己にしてはならない事の多さに苛立ちを覚えた。
「モントジエ中将。護衛をつけない君の判断は、こっそり出てきた僕への配慮と思っても良いのかな」
 悪戯に問いかけ、スハイツはこちらを向いた。
「そう思って頂いても構いませんが」
「自分の目で僕を監視したい? 逃げ出す危険を考えたら、護衛はいた方が手に困らないよね」
「不可侵条約を結んでいるとは言え、殿下の行動があまりにも不審。しかし殿下が、私の部下のいる場所で口を割るとも思っておりません」
「そうして雁字搦めにされているのも、計算のうちってことか。不器用だねえ」
 何気ない一言が胸の奥を突いてくる。
 そうだ。目標と現実の間で手足を絡め取られているのは己の方だ。
 見透かすような目を向けてくるスハイツに、得体の知れぬ感情を覚える。それが劣等感である事に気がついたのは、もう数分経ってからの事だった。スハイツはやれやれと言わんばかりに頬を掻いて、ふと思い立った様子で顔を上げた。
「そうだ。外へ出る前に一箇所寄っても良いかな」
「どこへ?」
「お手洗い」
 間の抜けた返答を前に呆気に取られながら、アネモネは軽く溜め息をつく。
「どうぞ」
 女性である自分が見張るわけにもいかず、やはり部下の一人でも連れてくるべきだったと今頃にして思った。
 ふらふらと先を行くスハイツの背を見張りながら、上着のポケットに詰め込んでいた小型のマイクを手に取る。
「聞こえるかアナレス。まだブレイズ大佐を足止めできているか?」
『トライベル伍長殿が若干振り回されてますが、一応はできていると答えておきます』
 不機嫌そうな声色で返ってきた言葉に内心安堵する。アナレスは軍に入ってきた時から不遜さが目に付き、他の上官に目を付けられる前にと手元に置いて見たものの、階級と実力が釣り合っていない事を実感するだけだった。
 無理矢理昇級試験を受けさせようにも、本人が希望しないのであれば仕方がない。
 アネモネは淡々と続ける。
「問題ない。研究所の連中が来たら、彼らに任せておけばいい。アナレス上等兵とトライベル伍長は作戦に参加しろ。これは私からの命令だ。少佐が口を挟んできても無視を決め込め、こちらを優先しろ」
『現在遂行中の任務は如何致しますか』
「結果だけ報告しろ。後は少佐に引き継がせる」
Aye, ma'amアイマム. 今のところ掴めた情報はありませんが、中将閣下が声をかけてきたと言う事は――』
「そうだ、殿下は今私の側にはいない」
『殿下はこういうところは分かり易いですね。通信が入ったので、そちらに集中します。結果は即座にそちらへ報告、記録した分は作戦の方に提出します。それで閣下からの試験は終了と言う事で宜しいですか?』
 短く息をついたのが耳元で聞こえ、アネモネはつられたように苦笑を浮かべる。
「気付いていたのか。ジョルジュの部下が嫌になったら、またいつでも拾ってやるぞ」
『そうならないよう善処します』
 そこで通信は途切れた。アネモネは手に負えない部下の最後の報告に対して、親心にも似た複雑な感情が宿っている事を自覚していた。
 
 回線の向こうの声は酷く冷め切っていて、感情を悟らせない。事務的で淡々としているそれは、命令を下す際に発せられる声に似ている。
『現場は混乱を極めている。早急に問題を解決し、誤解を解くのが我々本来の目的だ』
 リブレ・アナレスは室内で起きている、不毛なやり取りを繰り広げている事情聴取の傍ら、耳に押し込んだイヤホンに意識を集中させた。上官であるアネモネの硬い声とは対照的に、柔らかい声が耳を突く。
『巻き込まれたのがハイメに似ていたという話が本当なら、これはとんでもない好機だと思うんだけどね、僕は』
『そう都合良く転ばないだろう。だからお前は甘い』
『それで、ハイメは?』
『誰も姿を見た者はいない。そういう事になっている』
 片方がスハイツの声であるのなら、通信相手は国外の人間だろうとリブレは推測する。スハイツを良い用に使える人間が、危険を冒してまでレブナンスに潜む理由はない。
「外道」
 スハイツを思うように操っている相手――恐らく王族で、より高い地位にある者だ――に対し、吐き捨てる。
 国境の揉め事なんて程度では収まらず、エアドレイドの王族が動いているという点からして、早い時点で疑問に思っていたのだ。軍曹に告げたところ、まさか上官伝いに将軍から声が掛かる事になるとは思っていなかったが、リブレはアネモネに指示された通りに盗聴を続ける。
『あまり人道的な手法ではない気がする、とでものたまうか?』
『いいや、それは全然。レブナンスだって非人道的な手段を使って来てるんだ、お互い様だろうね。そうそう、噂は本当だったよ』
『お前の目で確認したなら結構。兵力で劣る我々が牙を剥こうとするのなら、頭を使う必要があるよ』
『面倒くさい事を考えるのは得意じゃないな。兄さんに任せるとしよう』
 スハイツらしき声が口にした確実な単語を耳に、リブレは苦笑する。アネモネに献上する手土産は出来た。
(これがわざと洩らしている通信なら、殿下を策士と呼んでも良いんだけどな)
 所詮守られているだけの王族だ。内心でそう判断を下し、未だトライベルを翻弄させる別部隊の大佐に注意を傾けた。規範になるはずの佐官でありながら長髪という容姿にふざけた態度ではあるが、生真面目ながら優秀なトライベルを振り回しているのだから、それなりに機転が利くのは確かだろう。
 しかしそれが気に入らない。
(あんないい加減な人間が、特権を握っているのが一番許せない)
 ろくでもない上官の勝手に振り回されるのは、自分達だ。その点ではアネモネは良かった。
 耳元の通信が再び展開していた事に気が付き、余計な思考を頭から排除する。
『実験の噂が本当だったと言ったなスハイツ。それが使えるようになるのは、いつ頃だと思う?』
『当分は先だな。魔法も大々的なものが使えるのは藍羅姫くらいかな。軍に拘束されてるようだから、恐れるに足らない』
『――軍に拘束されているから注意しろ、という事だな』
『うん? そう感じるならそれでも良いけど』
『お前はこんな事に手を貸す程、馬鹿な姫ではないと思っているのか? いいや馬鹿だな、あの娘。何も知らないから、あっさり騙される』
 実験という単語が指すところが理解できずに、口元を押さえる。研究棟の連中が何かしているのなら情報が自分の手元になくても納得がいくが、それに関する話はアネモネから一切聞かされていない。将軍直々に下された命令に関わる事なら、予め知らされていても良いものをと思わずにいられない。
(まだ中将に試されているという事ですか)
 或いは知らなくても問題ないと思われているのかもしれない。幹部であるならともかく、上等兵という階級しか持たない自分相手なら、そう考えるのが当然だ。
『アイザック・レブナンスがどう出るか』
 スハイツに兄と呼ばれた相手は短く呟く。
『僕が来たのは早々に気が付いていたみたいだよ。何を考えてるのか、いまいち分かりにくいな。結局何も聞き出せなかった。ただ、勘は良さそうだ』
『勘が良いだけでは何も出来ない』
『そろそろ戻ろう、僕の仕事はここまでだ。残りの事は任せる。兄さん、一つ良いかな』
『何だ』
 相手は嫌そうに応じ、スハイツの言葉の続きを待つ。
『兄さんにとっては非常に残念な事だと思うけど、僕はこれでもレブナンスが好きなんだ。良い結果を期待してる』
『馬鹿者、早く帰って来い』
 肝心な中枢の見えない盗聴に嫌気の差してきていたリブレも、そこだけははっきり聞き取っていた。
 通信が終了してしまえば、その後のスハイツの対応はアネモネが負ってくれるだろう。自分は記録した分をアネモネと作戦部隊に渡すだけだ。それ以上は関わってはならない。頭ではそう理解していても、気になるのが本心だ。
 部屋の中から「いい加減にして下さい」というトライベルの声が聞こえ、肩を竦める。大方ブラッドの揚げ足取りに振り回されているのだろう。自分が相手をしていたなら、彼女よりも先に根を上げていただろう事は容易に想像がつく。
 不意に白衣を着た男の姿が視界の隅に入り込み、リブレはライフルを持ち直し敬礼した。
 気の弱そうな研究員が困惑した様子で口を開く。
「ブレイズ大佐を引き取りに来たんですが」
 無言で頷き、扉を二度ノックする。トライベルの疲れ切った声がそれに反応し、扉が開くと同時にだらけたブラッドの姿が目に映った。相変わらず机に足を投げ出し、事情聴取を己の疑惑解消のための質疑応答時間に変えてしまった男がパイプ椅子に沈んでいる。
 研究員はリブレの脇をすり抜け、ブラッドに呼びかけた。
「大佐、投薬の時間です」
「そうしてやりたいが、俺ァこいつらに捕まってる」
 憮然たる面持ちで答えるブラッドの視線がこちらを向き、睨むような目で見据える。喧嘩を売られている事に感付き、今ここで買わないように気持ちを静めようと息を吸い込んだ。
 幸い、リブレとトライベルにはアネモネの指示があった。
「研究棟の指示があればそれに従えと聞いてます」
「だそうです、大佐」
 研究員はリブレの言葉を次いで、ブラッドが立ち上がるのを待つ。
「だったらもっと早く来いよな、ディル。お陰で何時間こんな狭いところに押し込められたか分かんねェぞ。おう、世話ンなったな伍長」
 溜め息混じりに研究員の背中を叩き、ブラッドは部屋を出て行った。その背を軽蔑の目で見送りながら、部屋に立ち入ろうと足を踏み込む。追い立てられるように外に出された研究員に同情を禁じ得ないが、それよりも気掛かりなのはトライベルの方だった。
 机に両手をついたまま顔を上げようとしないトライベルを見やり、適当な言葉を掛ける。
「お疲れ様です」
「……やっと行ってくれたか。あの人の相手は二度と御免だ」
「同意します」
 人に嫌な顔を見せないトライベルだからこそ、その言葉が本物である事を知り、リブレは嘆息する。ああいった手合いが上官になった場合は、それは最悪な日常を送る羽目になるだろう。そんな事を思いながら、肩に立てかけるように抱えていたライフルを一度床につけた。
「こちらの仕事は終わりました。モントジエ中将閣下からは、作戦に参加せよとの事です。あまり時間はありませんよ、マーシャ」
「私も?」
 怪訝な表情で自分を指差すトライベルに、当然の如く答える。
「そう聞いてますけど」
「お前のお守りかな」
 トライベルは益々納得が行かないといった様子で、首を傾げるだけだった。