Novel

COMPLEMENT
11 Inhumane thoughts

 久しぶりに訪れた中央塔の中心では、藍羅の父親であるアイザック・レブナンスがいつもの気難しい顔で椅子に腰掛けていた。迎えた客人を丁重に扱うわけでもなく、円卓の反対側で適当な社交辞令の挨拶を交わしただけでアネモネに対応を任せきりである。
 そんな父親に不満を抱きながらも、藍羅は勧められた席についた。人がいる部屋だけあって、空調が効いていたから手足が寒さに悴む事はなかった。自分の部屋とは大違いだ。
 迎えのアネモネと、連れてこられたスハイツ以外に藍羅に付き添ったサージェも同じ部屋にいる。
「なんで、お前までもがいるのかね」
 息を洩らすと同時に呟かれた言葉が深く突き刺さる。嫌悪にも似た声音にびくりと肩を震わせ、藍羅は口を噤んだ。
「来てはいけませんでしたか」
「そうは言っていない。だが事前に連絡の一つでも入れられよう。ただ――心臓に悪い」
 嘘だ。顔は否定していると口にしそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。一月ぶりに見たアイザックの顔色は相変わらず病人じみて悪く、青白い。元が色白であるだろう点に目を置いても、隔離されていた藍羅でさえそう思うのだから、多少やつれていると見てもよかった。
「私が同行を許しました」
 咄嗟にアネモネに庇われ、藍羅は頬を膨らませた。勝手に乗り込んできたスハイツは客として扱い、娘である藍羅は邪険に扱われるという状態に不信感を抱かずにはいられない。
 胡散臭い笑みを浮かべたスハイツは――こちらもやはり社交辞令の顔のようで、妙な微笑が張り付いている。
「貴殿のいう依頼とは何かね」
 指を組んだまま開かれた口から洩れるのは、溜め息のような呟きだった。
 スハイツは姿勢を正して、丁寧に答えた。
「国境で少々困ったことになっておりまして、手を貸して頂けると有難いのですが――こちらの人間が、レブナンスに紛れ込んでしまったんです……本人に国境を越える意思はなかったようなんですが、国境の憲兵は聞く耳持たずで取り合って貰えないんです」
「初耳だな」
「こちらの人間を、そちらの法で裁かれると後々問題になりますし。その、なんというか」
 スハイツは途端口篭り、頬を掻く。気まずそうにしているところを見ると、流石に藍羅でも嫌な予感が呆けた脳を刺激する。
「うちの末弟と似ているんですよ、姿形が。憲兵が慌てて止めに入ろうとしたら、第三公子による侵略と見なされてしまいまして。正当防衛を理由に攻撃されてしまったから、父王は仕方なく軍を出す有り様。僕が何を馬鹿な真似をと止めに入ったら、じゃあお前が片付けろと言われまして、僕がこうして使いに出されてるわけなんですが――閣下から一つ命令して頂けませんかね」
「馬鹿な真似を」
「僕も同じ事を言いたいです」
 即座に興味を失った素振りで、アイザックはそっぽを向いた。騒いだ割に実際の理由はとてつもなくくだらない。
「それが本音かね」
 肘に顎を乗せ、アイザックは薄く笑んだ。本心がどこにあるのか知れないが、アネモネもサージェもまた良からぬ考えでもよぎったのだろうと判断したらしい。藍羅が口を挟める事でもなく、黙って話を聞いていた。
「僕が嘘をついているとお思いですか?」
「嘘ではないだろうな。しかしそれが用件とも思えない。正直に言うと良い、生体兵器が気になるのだろう? 折角ブラッドを引き剥がしてやったと言うのに、有効活用せんとは勿体無い」
 悪戯に言い放つアイザックに、藍羅は溜め息をついた。どこまでが本音なのかまるで分からない。顔を顰めるサージェに視線を投げかけると、少女ははっとした様子で頭を振った。アネモネと共に藍羅の前に現われたサージェは、確かにあの時研究棟の中にはいなかったのだ。
 誰の手中で踊らされていたのか、最早分からない。
「エアドレイド第二公子、どこの壊滅が望みだね。王室か、軍か、レブナンスか。こちらを利用し王を討って、自らが王になるための算段を整えてきたのだろうな」
 淡々と問いかけるアイザックの目が細まる。
「それとも売国奴と笑って欲しいのか、或いは暴走を止めて欲しくて外部の人間を頼ったのか」
「確固たる地位が欲しい。それだけです」
 蔑むように笑うアイザックに対し、スハイツは短く告げた。影のない言葉にアイザックは目を丸くする。藍羅に理解できなかったものは結局のところ、そこだ。
「ないな、そんなものは」
 王家の血筋を引くスハイツと、かたや実績を重ねて今の地位に就いたアイザック。国力は逆転しているが、血で言えばスハイツの方が――種族こそ微妙に違えど――高貴の人間だった。二人を比べるには条件が違いすぎている。
 藍羅が暫く悩んでいたものの片鱗が、そのやり取りから伺える。
「一介の研究員だった私と比べたら、王の血は権力を持ってるだろう。出来る事も多い。何故私を頼る?」
「実力で成り上がった人のサクセスストーリーを耳にできたら良いなと思ってました」
「覚えてないな。偶然と運が重なっただけだ」
 片眉を上げたスハイツを確認し、アイザックは再び渋い表情を取り戻した。
 スハイツはこれぽっちも悔しそうになどしていなかったが、このいやな沈黙に耐え切れないのは藍羅だけではなかった。公子の無謀に付き合わされているアネモネは、いつアイザックの逆鱗に触れないかと内心冷や冷やしているはずだ。それにこの場で自分の意見を挟むには、度が過ぎる。
「国境の事は何とかしてやろう、貴殿がこちらに来た事も黙っておこう。私は蛮族は話が通じなくて嫌いだ。私の気が変わらない内に帰りなさい」
 諦め顔の公子を一瞥し、アイザックは小さく息を吸い込んだ。
「中将」
「は」
 アネモネは自分が呼ばれた事に気付き、慌てて敬礼する。咄嗟に立ち上がった所為で、椅子が激しい音を立てて揺れた。
「国境まで護衛をつけてやれ。それ以上は知らん」
 大抵放置しておくか、勝手に帰れと言いそうなアイザックの事だ。状況が飲み込めずにアネモネがぽかんとしていると、隣のサージェがその裾を軽く引っ張る。予想していなかった方向からの動きに、現実に引き戻される。
「ブレイズ大佐はどうしましょうか」
「適当なところで解放してやれ」
(それでまたブラッドは始末書書かされるってわけね)
 変なところで合点のいった藍羅は、すっかり疲れきった表情で嘆息した。
 果たしてスハイツは無事に帰してもらえるのだろうか。一つ片付いてしまうと、今度はそれが気になって仕方ない。記憶を消されるのではないかと疑ってサージェを見ると、視線を感じ取ったらしいサージェは迷惑そうな顔で藍羅を睨み返す。
 余計な心配は済みそうか。アイザックの様子を伺ってみたが、機嫌が良いのか乗り気でないのか何も答えない。
「では失礼します」
 軽く頭を下げるアネモネの後をスハイツが追う。
「藍羅と少尉は残れ」
 一緒に部屋を出ようとした藍羅は短い言葉に遮られ、つんのめった。
 これは咎めの一言が待ってるのだろうかと瞬時に思考回路が切り替わってしまい、後悔する。こんな時ばかりは後先何も考えられないような愚か者の振りをしていたいものだと思った。
「あの、父様。機密漏洩に関してはあたしの所為です。ブラッドも殿下も責めないで下さい」
 毅然として告げると、アイザックは妙な顔をして首を傾げた。
「何を言ってるんだ馬鹿者、お前は前線に行くんだ」
「はああ?」
「何のためにブラッドをお前から剥がしたと思ってる」
 大口を開けて反論しようものなら付け足しの言葉に遮られ、藍羅はがっくりと肩を落とした。やはりブラッドを無理矢理な理由をこじつけて封じたのは、スハイツのためではなかったのだ。サージェの同情の視線も貰って、益々居た堪れない気分になる。
「あたしが?」
 渋々確認のために顔を上げれば、アイザックは悪びれもせずに続けた。
「お前の魔法研究に動きがあったと報告が上がってる。国境で雷を起こせ、実験に丁度良い。一つどでかいのを落とせば、混乱させるのは簡単だろう」
「……ブラッドが聞いたら絶対に止めるって分かってたから、ブラッドを封じるために殿下を利用したんですか? モントジエ中将の部下を使ってまで」
「使えるものは何でも使え、文句を言う前に頭を働かせろ」
 何を言っても無駄だと悟り、藍羅は物分りの良い振りで苦い表情を浮かべたまま首を縦に振った。こうして自分がいかに利用されているか、ブラッドは恐らく自覚していない。
 言ってやった方が良いのだろうか。言ったところで、あの性格ではすぐに騙されるだろうと思うと、意味がないような気がした。
「力の差と言うものを見せつけてやれ」
 簡単な命令は娘に下されるものというより、軍人に下されるものに近い。王の寵愛を受けて育つ姫とは違う事は既によく分かっていた。少なくとも大事に育てた娘なら隔離する事はないだろう。
(でも)
 仮定の話が脳裏に浮かび、押し黙る。
(魔法をもっと簡単に発動できるようにしたら、生体兵器の力を借りる必要はなくなるかもしれない?)
 実験体の存在が強烈に目に焼きついている今、それを求めるのは必然に等しい。まともに魔法を扱える人間は、ブラッドの他に藍羅は知らない。初めて見た手品のような魔法を、もっと大勢の人間が平等に扱えるようになれればモラルが変わるかもしれない。
 しかしそれは過剰な武力を持つ事になりはしないだろうか。今の藍羅がそれを考える余裕はない。
 アイザックは溜めた息を吐き出すように、呟いた。
「少尉は藍羅についていろ、計測はお前達の仕事だ」
「了解」
 短く答えたサージェを一瞥し、藍羅は不安そうな目を傾ける。視線に応じるどころか、サージェはこちらを向く事さえしなかった。下された命令のままに、何かに憑かれたように部屋を出る。若干顔色が優れない様子だったので、藍羅は眉間に皺を寄せたままその後を追った。
 扉が閉じ、追い出された部屋は傍目には人のいない会議室のようで、妙に寂れている。機械のように佇む護衛の兵を見ると、かろうじて人気があるようにも感じられるのだが、どちらにしても藍羅には近寄り難い場所だった。
(これが親子の距離なの?)
 素朴な疑問を抱きつつも、口に出すまいと胸の内に押し留める。
 世話役の人間は出入りしていたし、ブラッドやサージェが大抵は側にいたので、最早昔のような寂しさはあまり感じなかった。慣れてしまったのかもしれない。
「姫」
 サージェは煮え切らない様子で口を開く。
「研究に動きなんて……一体、どのような?」
「原子の構造見直してみただけよ」
 短く返せば、サージェはそんな馬鹿なと苦笑した。廊下に佇む見張りに視線が向かう。彼らには理解できているのか藍羅には知れないが、理解できたところで扱えるかどうかは別である。
 息をつき、続けた。
「もっと簡単な式で威力を上げる方法を思いついたの。ハイリスクハイリターンだけど、上手く使えば手足になるわ。さらに使いやすくしようと思ったら、時間が必要ね」
「しかし今のところ使い手がいない」
「ブラッドとあたし以外は、あたしは知らないわ」
「最初に手をつけたのは閣下だから、恐らく閣下も使えるはずですが」
「人に任せきりで見たことないわ」
 第一人者が現場から手を引いてしまっているのか、藍羅は父の研究者としての姿を知らない。立ち位置は専ら軍事に傾いていて、姿を見る時はいつも軍人に囲まれている。
(どうなの、それも)
 一介の研究者として信頼されているのか、ただ自分には簡単すぎて他人任せにしているのか、どちらなのかはいまいち分からない。淡々と報告し、その結果にアイザックが満足したのなら、先へ進むだけなのだ。
「……まあ、ブラッドは使用者として最適化されてますからね。本当に都合の良い足だ」
 比較的ブラッドを理解しているサージェがそう言うのなら、藍羅には黙って頷く事しかできなかった。
「何が起きるか分からない実験中の不安に耐えるだけの精神力もあるし、今は費用の関係でブラッドと実験体くらいしか手を出せないが……いずれは」
「いずれは軍全体がそうなると言いたいの?」
「兵の強化を図ろうとする動きは見られますからね」
 それには否定できず、軽く目を瞑る。人道的な倫理は既に実験体の時点で、どこかに置いてきてしまっている。考えられない事ではない。
「でも父様は、あたしに前線へ行けって言ったのよね。ブラッドには手に負えないって事かしら」
 顎に手を当て、唸る。
「構造を理解している姫でなければならないと?」
「そうでなければ、見す見す娘を見殺しにするようなもんだわ」
 アイザックに限ってそれは有り得ないと口にするには、あまりに普段の行いが悪すぎる。自分の身の安全にすら確信が持てず、腹の内に黒い淀みが広がるのを感じた。