Novel

COMPLEMENT
10 Raison d'etre

「だから、俺は何も知らねェっつうの」
 どんと机を叩き、ブラッドはいい加減疲弊した体を椅子の背に預け、吐き捨てた。向かいに座るのはトライベル伍長だ。元からそういった顔つきなのか、相変わらずの無愛想を振りまいて書類にペンを走らせる。何を書いているのかと思って覗き込んで見れば、ブラッドにとってはどうでも良いメモの類だった。
 机の脇には茶が用意されていたが、自白剤でも入れられているのではないかと思うと手をつける気にはなれなかった。
「殿下がこちらについたのは昼前、昨晩は藍羅皇女と大佐と一緒にいたと」
「そうだ、ひょっこり出てきやがったんだ」
 本部に連れられてきてから随分な時間が経過している。にも関わらず、質問と回答は堂々巡りで、事情聴取が終わる気配など微塵も感じられない。
「もう十分だろ、俺ァ帰るぞ」
 苛々を抑えながら立ち上がると、背後でライフルを構えていた二人の兵が扉を塞いだ。
「駄目です。大佐を逃がすなと言われております」
 にべもなく告げたトライベルの表情は、凝り固まったように変わらない。ブラッドは思わず舌打ちして乱暴に椅子に座り直した。体重にパイプ椅子が軋む。マグカップに注がれた茶の表面に波紋が広がった。
 背後に二人いる兵士はライフルを持っていたが、目の前にいるのは少女だ。無理矢理にでも突破しようと思えば出来ない事もなかったが、益々面倒な事になりそうなのが目に見えて、脱走手段を確保しようなどという判断は破棄せざるを得ない。
 最大限の不機嫌を表すためにも、机の上に足を投げ出した。
「邪魔です。どこのごろつきの真似ですか」
「覚えのない事で時間を無駄にしてんだ、俺は俺の仕事をしたいんだが。この時間には、本当なら訓練があってだな」
「作業に関してはこちらでフォローする事になってますので、ご心配なく」
 逃げ道の一つも確保できず、ブラッドは顔を顰めた。
「……可愛げねえな」
「軍人ですので。――入国管理局の記録では、殿下はおとといの夜、こちらに着いた事になってるんです」
「それがどうした。俺んとこに来た時には護衛なんていなかったぞ、どっかに宿でも取って時間を潰してた可能性もあるだろ」
「否定できませんが、その頃の大佐のアリバイがありません」
 またそれかよと内心呟いて、腕を組む。証明をしようにも一緒にいた人間が存在しないのでは、証拠にはならない。目の前の少女にあっさり却下されてしまうだろう。
(冗談抜きで融通が利かねェぞ――流石赤)
 左肩の赤い腕章を睨めつけ、日常的にかなりいい加減を貫き通している己との差異を思う。アネモネの部下は優秀ながら、頭の硬い連中が多いと率直な感想を抱いた。前線に並べたら、さぞ規律正しい動きをするのだろうなと思う。どちらかと言えば、司令部で命令を下していた方が似合う連中にも見えたのだが。
 背中に刺さる程の冷たい視線を感じ、ブラッドは肩を落とす。
「おい、俺の後ろでガンくれてるクソガキは何なんだ。俺に怨みでもあんのか」
「アナレス上等兵、銃を下ろしなさい」
 呆れたような困惑の表情でトライベルが厳しく口にすると、少年は不満そうな顔でライフルの銃口を逸らした。いつ恨みを買ったか覚えのないブラッドからしてみれば、全く迷惑としか言いようのない殺気である。そこにあるのは深い憎悪にも似た、怒りだ。
 自分のような若輩が大佐と言う地位に就いているのだから、怨み辛みの一つや二つは珍しい事ではなかった。年配の上官には扱き下ろされ、年上の部下に嫌味を言われる事だってほぼ日常茶飯事に等しい。しかし、ここまで露骨に嫌われるのは随分久しぶりの事だ。
 見慣れない紫の目が視界に入り、ブラッドは鼻を鳴らす。
「見ない顔だな。新人か」
「先日私のところへ配属されたばかりです。まさかとは思いますが、全員の顔が一致するんですか?」
「よく見かける辺りは大体覚えてる」
 次会ったら弄ってやろうと心に決め、トライベルの方へ向き直る。目の前の少女は机をペンの背で一度叩いた後、溜め息交じりにペンを置いた。
「――殿下は武術よりは学芸に長けてらっしゃると聞いてますし、エアドレイドからレブナンスまで護衛もなく、一人で来たとは考えにくい」
「だから俺が連れてきたんじゃないかってか」
 冗談ではないと続け、ふと記憶に思い当たる節があって顔を上げる。
「おとといの夕方はクライナ少尉と話し込んでた。確か研究所だ、他の連中は帰った後だったな。貫徹しようとしてたから、からかいに行ってやった」
「少尉一人が残っていたんですね?」
 確認の言葉を口にし、トライベルは指を組む。彼女も疲れてきているのか、段々表情が曇り始めている。或いはこの聴取も本意ではないのかもしれない。
「相手があの少尉では、いくらでも誤魔化せますから信用なりませんね」
「……お前なあ」
「何にせよ、殿下に何を吹き込んだんですか? 研究棟の警備に当たっていた兵から、大佐と一緒だったという噂を聞いてますが」
 サージェを信用ならないという理由はそこかと納得し、ブラッドはどうにもならない現状に嫌気が差してゆっくりと机の上の足を下ろした。代わりに肘を突き、大きく息を吐く。
 彼女が聞き出したい事が何なのか、想像がつくようになってきた。ブラッドがスハイツを誘拐したと言うでっちあげを正当化するための証拠が欲しいわけではないのだ。スハイツに何を教えたのか、機密が洩れていないか――恐らくメインはそっちだろう。
 流石にそれを正直に答えてしまっては、ブラッド自身の立場も危うい。分かってはいたが、スハイツの行動を見るためには使えるとも思ったのだ。
「状況によっては答えてやってもいい。いや違うな、答えられるかどうかは伍長殿次第だ」
「どういう意味です」
 片眉を上げて首を傾げるトライベルを一瞥し、念を押すように低く唸る。
「中将から何も聞いていないのか?」
 半分ははったりだ。いかにもらしい真実味を持たせたまま、努めて真面目に返す。実際問題、実験体の事を知らない人間に、簡単に洩らして良いと思っている程規則を守らない不良軍人のつもりもなかったし、一国の公子であるスハイツだから教えたのだ。多くいる伍長の内の一人に過ぎないトライベルに、口を割れるはずもない。
 彼女が欲しい言葉はもっと単純なものだろう。
(『言った』、もしくは『そんな事知らない』の二択で十分なんだな)
 そうでなければもっと上の階級の人間を寄越すだろう。腹積もりが決まったブラッドは、困惑するトライベルを見て意地悪く笑んだ。
「俺に喋らせたいなら、大佐以上の人間を寄越せ。中将か、少将か、もしくは閣下をだな」
 我ながら無茶を言ったものだと自嘲する。
 実験体について知っているのは、命令を下したアイザックと、直接関わっている研究員以外は、似たような境遇にあるアルフロスト、極々限られた幹部に限られる。そんな中、何故自分が知っているのかと言われれば、アイザックの口から聞かされたとしか答えられない。
 下士官のトライベルが知るはずもなく、彼女には誰が関係者であるかも分からないだろう。トライベルは肩を竦めて溜め息をついた。
「大佐が極めて重要なポジションにいる事は分かりました。では、殿下から何かお聞きになりましたか?」
「今度はスハイツを疑ってる口ぶりだな」
「どちらも信用ならないと思ってますから」
 隣国の王族に対してでさえ、トライベルの言葉は容赦ない。
「はっきり言います。明け方、エアドレイドが進軍を開始しました。現在国境にいるそうです。これについて、何か殿下から聞いた事はありませんか?」
 トライベルの口から滑り出た一言にブラッドは口を半開きにしたまま、目を瞠った。平坦で余分な感情を混ぜない彼女の声が鋭く突き刺さる。
「どういう事だ?」
 レブナンスとエアドレイドの国境が揺らいでいるのだろうか。エアドレイドの一方的な進軍であるのなら、レブナンスは正当防衛を理由に軍を出す事もできる。但し今回ばかりは偶然と呼ぶには、タイミングがあまりに良すぎた。
 肘に体重をかけ、机に寄りかかるように詰め寄る。
「雲行きの怪しいレブナンスが公子を誘拐し、しかも武器を向けた。エアドレイドは公子の身柄を確保するために軍を出しました。建前ではね」
「建前」
 単語を繰り返すと、若干嫌そうな顔を向けられる。それから暫くし、頷いた。
「公子の動きを見ていると、どうも怪しいところばかりなんです」
「アイツは元からああだぞ」
 間髪入れずに突っ込むと、トライベルは渋い顔で固まる。
「胡散臭いというのとは別の次元での話です。彼はレブナンスにおける重要機密に触れられるような位置にいるんです。彼なら、それを国に持ち帰って報告する事も可能ですし……もしかしたら、進軍のための理由を作りにこちらに来たのかも」
 それは否定できないと、流石のブラッドも飲み込まざるを得なかった。そこに自分が関わってくる理由が分からなかったが、スハイツが頼ってきたのが自分だったと考えた方が簡単だろう。
 軍事力に劣るエアドレイドが、レブナンスとの同盟を破棄して攻め込んでくるなど考えにくい。そもそも攻め込む理由が見当たらない。
「エアドレイドの目的は何だ?」
「それが分かれば苦労しません」
 不意に洩らした独り言にも、彼女は生真面目に反応する。
「とにかく。お前達は俺を外へ出したくないがために、俺がスハイツ誘拐したなんつー話をでっちあげたんだな?」
 確認のために声を幾らか低くして問うと、トライベルは不機嫌極まりない表情で目を伏せた。率直で必要以外の嘘をつくことに意義を見出していないようにも見えるトライベルが、敢えて声に出して否定しないという事は、認めたのだと読んでも良いのだろう――この場合。
 自分の後ろにいる少年ならば、相手が傷つこうが己が罵倒されようが、必要と判断したならば平気で嘘をつきそうな顔をしていると腹の内で苦笑した。そういった手合いとやり合うのは慣れていない。
「エアドレイドの本隊が動いたってんなら、閣下が気付かないはずがない。すぐに片付けようと思ったら、俺かモントジエ中将を出しても良さそうなもんだ。何故お前達も、俺も、こんなところに閉じ込められてるんだ?」
 疑問を返す。トライベルはすっかり困惑していたが、その傍らで様子を見張っていた少年は何か言いたそうにうずうずしているのが見て取れた。口を開けば八つ当たりが飛んできそうな気もしたのだが、ブラッドはそれを放置しておける程大人ではないと自負している。
 上半身を捻ってアナレス上等兵に声を掛けてみると、少年は嫌味めいた微笑を浮かべた。
「お言葉ですが、足止めを喰ってるのは大佐に限った事ではありませんよ。こうして見張りに立たされてるのが第三師団という点で、何か気が付く事があると思いますが」
「出てるのは第五師団のハウンド中将の部隊か」
 ハウンドは実力を重視する有能な将官だと言うから、恐らく命令を下すアイザックとしても、ブラッドよりは信頼できるだろう。鎮圧は時間の問題だ。そこに不安はない。
 適当に頷いていると、背後の少年は無言で肩を竦めた。第三師団の名が出なかったのが不満らしい。
 第三師団の所属兵といえば、その大半はアネモネが自ら手塩にかけて育てた部隊だ。頭の回転が速く、機転の利く人間を揃えている。そんな団に所属する少年が侵略者と対峙するわけでもなく、落ち零れと呼ばれるブラッドの相手をさせられているのだから、不満も尤もだろう。これではエリート部隊の名も形無しである。
 トライベルがブラッドを捕らえた後、アネモネが自らの足でスハイツの前へ出向いたのは、見合った階級の人間だからと判断していた。トライベルとのやり取りを追って考えてみると、どうやら裏がありそうだ。
「いい加減読めてきたぞ。姫さんを俺から引き離すのが目的だったんだな? スハイツが国内にいると聞いて、閣下が知らぬ振りして放っておくわけがない。姫さんがいたら不味い話でもしてるのか」
 藍羅一人を部屋へ帰すだけなら、サージェにでも任せれば事足りる。藍羅はそれだけアイザックにとって、危険視されていなかった。少なくとも、ブラッドが好き勝手に彼女に良い事悪い事吹き込んでも、軽く嫌そうな顔をされるだけでこれといって咎められた事はなかった。
 今回はわざわざ他者を寄越したのだ。深い意味などないと捨て置くには、些か疑問が残る。
「閣下はスハイツを利用してまで、姫さんに何をさせる気なんだ?」
 それには、アナレスもトライベルも何も答えなかった。