Novel

COMPLEMENT
09 Indiscreet Canary

 この事態を招いてしまったのは誰だろうか。
 物事を簡単に見ていた藍羅自身なのか、それとも藍羅を誘ったスハイツなのか、いまいち答えかねる。
 藍羅に分かるのは、この状態は自分の思慮の浅さが招いた結果であるという事だけだ。寸でのところでブラッドが割り込まなければ、もっと面倒で、もっと大変な事になっていたのかもしれないと思うと背筋が凍りつく感覚を覚える。
 実験体を見て、どうにかしなければという誘惑に負けたのは確かに藍羅自身だが、ここへ来るよう口車に乗せたスハイツも果たして同罪なのだろうか。
 全く無関係と言い張るには、度が過ぎているような気がしてならない。
「僕に剣を向けて大丈夫なのかい、ブレイズ」
 刃先を向けられているにも関わらず、スハイツの言葉に怯えの色はなかった。穏やかな態度で応対する様から、自らの言動に自信を持っている事が知れる。
 ブラッドは痛いところを突かれたのか、剣を向けたまま舌打ちした。
「国家機密に関わるなら誰であろうと排除する。俺はお前の友人ではあるけど、この国の軍人やってるからな。見逃すわけにはいかない」
「なるほど、道理だな」
 どこか納得した風に頷いて、スハイツは顎に手を当てる。
「だけど周囲はそう見てるかな」
 違和感を感じさせる言葉にブラッドの眦が動く。剣先はスハイツの喉元を刺さんばかりの距離にあったので、脅すには十分だ。それでもスハイツの顔色は変わる事なく、焦りを感じているのは寧ろブラッドの方だった。
 少し勢いをつけて振れば、首を飛ばすのは容易い。相手が王族である事を念頭に置いても、スハイツが逃げる動きを見せようものなら拘束する手段はいくらでもあった。
 問題は藍羅を人質に取られた場合だ。もし彼が武器を隠し持っていて、藍羅を人質に取ったらどうなるか。
(――なんとかなるだろう)
 胸中に浮かんだ不安をすぐさま否定し、柄を握る手に力を篭める。重たい指先が引き金近くで震える。軽くでも腕の力が抜ければ、スハイツを傷つける事に繋がるだろう。他国の公子を怪我させたとなれば始末書程度では済まない。
 そんな事は分かりきっていたが、口で言って通じる相手には思えなかった。
 スハイツが見ている先にブラッドはおらず、藍羅がそれに気付いた時には次の面倒が起きた。
「動くな!」
 凛とした声と共に研究棟の入り口の扉が開け放たれ、外の光が差し込む。突然の白さに目が眩み、空いた片手で影を作る。何事かと藍羅が視線を移すと、そこには複数の人影があった。
 野戦用の灰色の軍服に身を包んだ軍人が、支給品のライフルをこちらに向けている。しかし、銃口が向けられている先はスハイツではない。
「ブラッド・バーン・ブレイズ大佐ですね?」
 数名の灰軍服の間から滑るように出てきた女性が数歩前へ出、ブラッドの後ろで立ち止まった。ブラッドの影に隠れてしまった彼女の左腕には、赤い腕章が見える。藍羅から見ても、ずっと年上の女性だった。まだ大人になりきれていないあどけなさの残る顔つきを見ると、恐らくブラッドやサージェと同年代だろう。
「現在時刻0714、スハイツ・トレンツ・エアドレイド公子誘拐の容疑で、身柄を拘束します」
 淡々と言い放たれた一言にぎょっとしたのは、ブラッドも同様だった。藍羅は耳を疑った。
 誘拐とはどう言う事だ。スハイツは自らの足でレブナンスを訪れ、藍羅の前に姿を現したはずだ。護衛もほとんどつけずにお忍びだと言う。藍羅は彼の言う護衛の姿を一度も見ていなかったが、町の宿かどこかに待機させているのだろうと思い込んでいた。
「……なんだって?」
 ブラッドは半端に口を開いたまま、目を見開いた。思ったような反論ができずにいる。
 対する若い女性士官は姿勢を正しながら短く息をつく。動きにつられて肩にかかった薄い赤茶の髪が揺れた。
「昨晩エアドレイドから公子の姿が見えないと連絡を受けました。監視カメラに大佐と一緒の場面が記録されています。加えて、藍羅皇女を連れまわしていたとか――事情聴取のため、同行を要請します」
「任意じゃないんだな」
「抵抗せずに従って頂けると思ってますから」
 茶褐色の鋭い視線が射抜くように細められた。有無を言わさぬ笑顔を向けられ、ブラッドは暫く不満そうに顔を歪めた。腕章を見、階級を確認する。
 自分とほとんど年も変わらないだろう彼女は、それに気付きながらも軽く目を瞑った。
「トライベル伍長だな? 誰の命令だ」
「お答えしかねます」
「第三師団のモントジエ中将か」
「命令ですので。従わない場合、射殺しても構わないと言われてます」
 背後でライフルを構える兵を一瞥する。事務的で感情を排除した声色からそれが本気だと悟り、ブラッドは渋い顔で頷く。スハイツに向けていた剣を下ろし、実体化を解く。
 武器は一瞬にして、それまでのカード状に戻った。
「――分かった、抵抗はしない」
 諦めたのか、大人しく伍長の方へ向かう。混乱を極める事態に現状が把握できない藍羅は、慌ててブラッドを捕まえようと叫ぶ。
「ブラッド!」
「いい、姫さんは部屋に戻れ」
「どうなってるの? 殿下は自分で」
 自らここへ訪れたはずだと言おうとし、その先が言葉にならなかった。どうにかできないものかと、原因であるスハイツを仰ぎ見る。意地の悪そうな顔で微苦笑を浮かべながら、スハイツはこちらを見返しただけだった。
 ブラッドを庇うための言葉も口にしない。大人しく伍長に引渡しただけだ。
「躍らせたつもりで、俺が踊らされてたのか……」
 本部へ戻る途中、ブラッドは小さく呻いた。
 突然の出来事に呆気に取られたまま、周囲を囲んでいた数人が姿を消すのを待って、藍羅は溜め息をついた。何故ブラッドが誘拐犯になど仕立て上げられてしまったのか。自分の元を訪れる前はともかく、それ以降は藍羅の方が先に目を覚ましていたので、その間にスハイツが何らかの告げ口をしたとも考えにくい。
 藍羅がサージェの元を逃げるように去ってから、スハイツが藍羅の元を訪れる間にも、サージェとブラッドが一緒にいたはずだ。
(父様の勘違い?)
 ありそうな話だ。だが納得はできない。
 名前を挙げられていたはずの自分は、相変わらず放置されるだけだ。トライベルという女性士官は姿を消し、彼女が連れてきた数人の兵も一緒に本部へ戻って行った。
 自分が放置されるのは、父親の無関心を考えればまだ理解ができる。しかし、スハイツもまだ隣に佇んでいる。
「殿下」
「置いてけぼりを喰らったわけではないよ。ほら、迎えが来た。少尉は姫の迎えというところかな」
 外を顎で促す。出て行ったブラッド達と入れ替わるようにやってきたのは、赤い髪の少女だった。黄と黄緑のオッドアイがこちらを向き、それがサージェであると認識する。その脇には浅黄色の軍服に黒い防寒コートを羽織った女性が見える。
 先日世話になったばかりの女性士官だ。見間違いではなかった。
「アネモネ!」
「たった今トライベルとすれ違いました。怪我はありませんね?」
 母親の事を語ってくれた女性が、何故ここにいるのか。
 簡単な事だ。彼女は彼女の仕事をしに来たのだろう。それとしか考えられない。それならばサージェは何故アネモネに同行しているのだろうか。どうしてこんな事になってしまったのかと問おうと顔を上げ、色素の薄いアネモネの双眸とぶつかった。
 アネモネは無言でかぶりを振って行動を制する。暗に追うなと言われているのだと理解し、藍羅は肩に力が入るのを感じた。
「このまま黙って見てろって言うの!?」
 思わず叫んだ声が掠れている事に気付き、息を呑んだ。アネモネの陰に佇むサージェも、アネモネと同じように藍羅に対して首を振った。
「姫、事情があるんだ」
「どんな事情があればこういう事になんのよ。悪いのはあたしじゃない、ブラッドは何も悪くないのに」
 ここへ来なければ、ブラッドが連れて行かれる羽目にはならなかったかもしれないと思うと居た堪れなかった。スハイツの誘惑に唆される事なく、大人しくサージェの言葉に従っていればこんな事にはならなかったかもしれないのだ。
「あたしが馬鹿だったのよ。何であたしじゃなくて、ブラッドが怒られなきゃならないの」
「ブラッドは特に抵抗しなかったみたいですね」
「父様の事だから、とんでもない罰が下ったっておかしくないわ。何とかして止めなくちゃ」
 ブラッドが失態を重ねる度に前線へ送り込んだり、雑務を押し付けたりとしている父親の事だ。国境が不安定な今、再び前線へ送られないとも限らない。その失態と言うのも、大抵誰かの尻拭いだというのだから、同情する。
 慌てて後を追おうと足を前に出したところで、サージェに肩を掴まれた。振り払おうと腕を振るったが、サージェは困ったような表情を浮かべて見せる。
「姫、まずはこちらの話を聞いて頂きたい。まだ引っ掻き回しては駄目だ」
「どういう事」
 訳知り顔で呟くサージェの態度に、苛立ちにも似た焦燥感を覚える。いつも知らないのは自分だけなのだ。
 ぶっきらぼうに返したならば、サージェは頬を掻いた。
「それは中将らが説明して下さるかと」
 言い始めた時の態度と比べても歯切れが悪い。
 思うような回答を得られなかった藍羅はむっとする。しかしサージェの口からアネモネの名前が出た事で、スハイツの企みに中央が関わっている事だけは分かった。
「ブラッドを誘拐犯に仕立て上げて、得する人がいるってこと?」
 直接口にすると、サージェは少し間を置いて、苦い顔で頷く。
「アイツは気が短いからな、武器を出してくれたおかげで理由をつけやすくなったというか……」
 スハイツのあからさまな態度が逆に功を奏したと言うべきなのか、サージェの言いたいのはつまりそんなところだろう。唸るように低い声を上げながら、藍羅は怒りを押さえ込む。
 簡単に利用された自分も大概馬鹿だと思ったが、それでスハイツを許すには足らず、到底気が治まりそうにない。それは最早、八つ当たりといっても良かった。
「公子じゃないでしょうね」
「僕じゃないよ。僕だって人質を取られてるからね」
「人質ぃ?」
 おかしな言い分に眉を顰める。『自らが人質にされている』の間違いではないかと問おうと思ったところで、口にするのをやめた。彼自身ではなく、エアドレイドに人質がいるのだとしたら、どうなるだろう。彼の兄弟か、王か、或いは民衆か。
 スハイツは何も言わなかった。彼本人から無理に聞き出す事はできそうにないと知り、藍羅は口篭る。
「父様も似たような事をする時があるようだけど……それにしたって」
 アネモネの耳に入らぬよう、小さく呟く。王族が誰かを人質にとって強要するなど、あってはならぬ事だ。民衆の信用を考えた上でも、とても良い方法とは思えない。
「僕は兄上とハイメを盾にされたら、嫌でも従わざるを得ないからね」
「ブラコン」
「おや、一人っ子の姫には分かって頂けないみたいだな」
 むくれ面を向けていると、視界の隅に入っていたスハイツは神妙な面持ちでこちらを見返した。
「スハイツ殿下、閣下がお話したいとの事ですが」
 アネモネは酷く落ち着かない藍羅から視線を逸らし、スハイツに対して真面目な顔を作る。異様なまでに落ち着いている子供を前に、大人であるアネモネが不満を洩らすなんてできまい。
 赤い上着の裾を正し、スハイツは短く息をついた。
「そういう約束だったね、伺おう。藍羅姫も来るといい、事情を知りたいのだろう?」
 声を掛けられ、藍羅は瞬く。
「それはアネモネが説明してくれるという事情と、同じなの?」
「実際は姫が期待しているような事情ではないと思うけど、不満そうな顔をしているからね」
 ろくに情報も与えてくれず、ブラッドとトライベル伍長のやり取りに口も挟まなかったスハイツが、今になって『事情』などという単語を使うとは思ってもいなかった。どういった理由でブラッドを陥れたのか知れないが、話を聞かなければ到底納得できそうにない。
 藍羅は黙ったまま頷き、本部へ向かおうとするアネモネ・モントジエとスハイツの後を追った。