Novel

COMPLEMENT
07 Outrageous Gap

 周囲の音は耳に入らない。少女はヘッドフォンで外界を遮り、モニターに噛り付いたままひたすらコンソールを叩く。規則的な文字記号の繰り返しに目が痛む。ふと目を離せば行を見失ってしまいそうな作業にも関わらず、途中で一息ついたのはその所為でもあった。
 これでは駄目だと心は言う。しかし他にどうして良いか分からず、藍羅はコンソールに突っ伏した。
 自然迷彩なる実験体について、知らなかったのが自分だけだという事が何よりも屈辱的だった。正確には自然迷彩という物を研究しているとはサージェから軽く耳にしていたものの、それが人であるなどとは聞いていない。てっきり軍服に用いる柄や、光学迷彩の事を指しているかと思っていたのだ。
「ブラッドの馬鹿」
 黙秘事項だろう事は分かっていたが、ここ最近の二人の調子の悪さの原因が、どこにあるのか気が付いてしまった。ブラッドは普段通りを装っていたが、サージェは明らかに様子がおかしかった。先日サージェには特に、アネモネ・モントジエ中将からの圧力が掛かっていた。
 何故気が付いてやれなかったのかと悔いても、実際それを口にしたのであれば自分はまだ子供だから知らなくても良いのだと言われそうな予感がして、より一層疎外感を感じる。
 騙されていた気がして、やるせない。いっその事スハイツのように正直に切り込めば、口を割ったのだろうか。
「だってあたし皇女よ皇女、あたしにも黙ってるような事を他国の公子に喋る?」
 独り言を呟き、コンソールを叩く。
 納得が行かなかった。ブラッドは相手がスハイツだからこそ喋ったのかもしれないとどこかで割り切れてはいたが、それにしたってスハイツは同盟国エアドレイドの公子だ。いくら将来有望といえど、対する自分は本国の第一皇女である。優先順位が違う。
(そんなにあたしは力不足ってこと)
 様々な現実が一気に押し寄せ、頭が混乱しかけてきている。
 研究所で見た実験体は自分よりも幼い子供だった。機械に囲まれ、培養槽に浮かぶ白い子供の事を思い出すと、自分よりも幼い身で悲惨な目に遭っているのが赦せなかった。この現状を作り出した犯人が誰なのか、益々分からなくなっていく。
 造ったのはサージェだろう。それを命じたのは誰だ。
 恐らく父親であるアイザック・レブナンスだ。
 自分は神にもなれるという錯覚に支配されている。人を作り出すという偉業に没頭する様を見ていると分かる。元科学者としての血は滾るだろう。
(なんで、こうなっちゃったの)
 母親の顔は知らないが、昔はもう少しましだったのではないかと思いたい。会えるのであれば、昔の父はどういう人間だったのかと訊いてみたい。それが適わないと分かっていたから、他の誰にも相談できず、ただ一人でこうして部屋に閉じこもっている。
 ヘッドフォンから洩れる警告音の高音が耳を刺激する。コンソールに突っ伏していた所為で、キーを圧迫していたらしく、画面は解読不明な文字で覆われていた。頭に響く音が嫌になって、藍羅は顔を顰めながらキーボードをのける。
 実験体を解放してやりたいと願い、開錠パスワードのハッキングを試みたが、ことごとく返り討ちにされた。念のため普段使っているものと違う媒体を利用したが、手間取っている数秒の間にウィルスを流し込まれて機能しなくなった。今はその修復作業に追われている。
 誰が考えたのか知れないが、とんだプロテクトだ。使い分けていて本当に良かったと心から思う。
 窓から見える外の景色は相変わらず闇の中だったが、雪が止まないところも変化がなくて退屈だった。
 不意に扉の外に気配を感じて顔を上げる。あまり人の寄り付かない場所だけに、何かあったのかと立ち上がるとノックの音が響いた。
「藍羅姫、夜分遅くに失礼」
 スハイツの声だった。まだ帰ってなかったのかと驚く傍ら、こっそり来てこっそり帰るのは大変だろうななどと同情する。勝手をしているのは彼なのだから、彼が帰った後何を言われようと自業自得でしかないのは、藍羅もよく知っていたのだが。
 本当に失礼な男だなどと内心思いながら、扉を開ける。
 褐色肌の少年の後ろには、うんざりした顔のブラッドが控えていた。見たところ、公子の我が侭に付き合わされているらしい。自分の時も背後ではそんな顔をしているのだろうかと、ふと疑念を抱く。
「明日の早朝に帰る事になったから、伝えに」
 悪びれずそんな事を言い出したもので、藍羅は訝った。
「ええと……どこに泊まるつもりで?」
「ブレイズのとこに泊めて貰おうと思っていたんだけど」
「俺んとこは将校用宿舎だぞばかもの、大騒ぎになるから無理だ無理。俺が叱られる」
 それはそうだろう。本気であてにしていたらしく、スハイツは非常に残念そうに「そうか」と肩を落とした。頭の回転が良さそうに見えて、どこか抜けている少年である。藍羅はこめかみを押さえて溜め息をついた。
「この隣が空室です。開けましょうか」
「宜しく頼むよ」
「てことは何だ、警備がないじゃねェか。俺か? 俺なのか?」
「宜しく頼むよ」
 同じ言葉を繰り返す。にっこりと笑みを浮かべて答えられては、最早何も言う気力も湧かない。ブラッドは落胆の溜め息をついて壁に倒れ込んだ。藍羅は引きつった笑みを浮かべたまま、扉に縋る。このマイペースぶりは故意かもしれない。そう思うと末恐ろしく感じられて、エアドレイドの国民に同情する。
「ああでも丁度良いかもしれないね、姫と少し話したいこともあったし」
 そんな事を言いながら、足は隣の部屋に及んでいる。ブラッドの重たい足取りを横目に管理用の鍵を手に取る。気ままなスハイツの後を追って隣の部屋の扉を開けると、ひんやりとした湿った空気が漂ってきた。
 ほとんど藍羅を隔離するためにしか機能していない建物だったが、使い道のない意味を持たない部屋に限っては鍵ごと使用権を与えられていたのが、こんな形で幸いするとは思ってもみなかった。
 空気清浄機と暖房のスイッチに手を伸ばし、先に窓へ近寄ったスハイツを放って灯りをつける。ベッドが一つ、机が隣接し、壁には大きなモニターが設置されている。
 間取りは自分が隔離されていた部屋とあまり変わらないため、見える外の景色の違いだけが別の部屋だと言う実感を与えてくれる。
「寝袋も置いてねェし……畜生、備品取ってくる」
 周囲を漁っていたブラッドが顔を上げ、心底嫌そうに溜め息をついた。
「まあ護衛なくても、あたしがいるからセキュリティ厳重なんだけどねえ」
 ぽつりと呟くと、廊下の端に見えたブラッドがぴたりと足を止め、恨めしそうにこちらを覗く。
「もういーよ! 俺もそこに泊り込むぞこの際!」
 叫び、大きな足音を立てながら姿を消す。きっと一晩中公子のどうでも良い話に巻き込まれるのだろうと思うと、ブラッドに対して同情を禁じ得ない。スハイツは人と話すのが好きだった。
 哀愁漂う視線で見送って、藍羅は振り返る。スハイツは外の景色に魅入られていたのか、出窓に身を乗り出していた。
「研究所に隣接してるから、あまり良い景色は見えないと思いますよ」
「どちらかというと雪が珍しくてね。エアドレイドではあまり降らないからね。景色は良いけど、こうも寒いのはちょっと頂けないな」
「そちらでは農業が盛んだと聞いてますが。ろくに作物が稔らないレブナンスからしたら、羨ましいところがありますけど」
「ああ、そういう見方もあるか」
 窓辺で肘をつき、スハイツは苦笑する。
 学問と農業どちらに比重を置くかで、隣国同士でもかなりの差が開いてしまっている現状を鑑みると、少し軽々しい発言だったかもしれないと藍羅は悔いた。尤も、エアドレイドがレブナンスに適わない理由には軍事力もあったのだが。
「しかし、あの不自然な白さはこの光景なら違和感を感じないな。不思議なものだね」
 実験体の事を指しているのだと知り、藍羅は顔を顰めた。
「彼が可哀相だとは思わないんですか」
 耐え切れずに問う。訊き難い質問だっただけに、喉が痛んだ。
 目を丸くして聞いていたスハイツは、窓に背を向けベッドに腰掛け直す。
「国のために生まれて国に尽くす。次男坊で国を継ぐ事もできずにフラフラしている僕からしたら、自ら苦労してレールを敷かなくても良いのは、少し気が楽だと感じられる。例え国を継ぐのが重圧でもね。だから彼の事はあまり同情してないんだな、実のところ。できないって言った方が正しいか」
「長男には、国を継ぐ以外の道はないのに?」
「そう。不公平だと思わない? 同じ兄弟でも二番目ってだけで、僕は帝王学を受けてないんだよ」
 それは昔と比べて出生率が安定し、生存率が上がったためとも思われる。一人っ子の藍羅には分からない感情だった。兄弟はないし、女児だから他国に嫁がされるのだと思っていた。ここまで大きくなったレブナンスを考えると、間違いなく婿を取る事になる。父は他人に国を渡すつもりはないだろう。
 他人に全て決められ、期待にそぐわなければ勝手に落胆されるのだ。全ては決められたレールの上にある。そこから逃れたいと思っている藍羅には、檻に入りたがるスハイツが分からない。
 だからこそ同じような境遇に遭うだろう実験体の事を思うと、居た堪れなかった。
「僕はね、多分暫く軍学校に入れられると思うんだけど、辛抱が利かないから不安ばっかりでさ。将来は将校になるんだと思うけど、全部が『多分』でしか語れない。不安だらけだよ。不安だらけだから確実な道が決まってる君がとても羨ましい」
 理解できない。
 沸々と湧き上がる感情が怒りでない事は知っていたが、目を合わせる気にもなれずに目を伏せた。
「心から理解することなんてできないのに、口先だけで辛そうだねって言ったら嘘ついてるみたいじゃないか。言えなかっただけだよ。言うならもうちょっと事情を知らないとね」
「だッから、ろくでなし公子なんだ、お前さんはよ」
 頭上から声が割り込む。藍羅がゆっくり顔を上げて確認してみると、それは寝袋を二つ懐に抱えたブラッドだった。良いタイミングで入ってきてくれた事に安堵する。何故二つ持っているのかは、なんとなく聞きたくなかったので口にしなかった。ブラッドが後ろ手に扉を閉める。
 スハイツは話す機会を失ったのが残念だったのか、名残惜しそうに笑い飛ばした。
「ほらね。同じような権力者の子供でも、細かい事情は違うんだ。僕は君の事は分からないから、言わなければ伝わらないよ。何が不満なんだい」
 問いかけに驚き、ぽかんと口を開いているとブラッドに寝袋の一つを放られ、頭で受け取る。やはり自分用に用意されたものらしく、藍羅はげんなりした顔でブラッドを睨めつけた。視線は上手くかわされる。
 スハイツは肩を竦めた。
「でも理解しようとしてる姫は良いんじゃないかなと思うんだけどね、僕は。理解できないから排除しようとしてるのが、君の父上さ」
「お前今すげェ危ない事言ってンぞ。聞かれたら牢だ、気ィつけろ」
「さっき窓から覗いてみたけど、周囲に人が入れそうな場所はなかったし監視もないみたいだから、君達が口を割らなければバレないよ」
 性格が悪い、と突っ込もうとしてやめた。口にしたところで、スハイツは意にも介さないだろう。そういう少年だと分かってしまったような気がして、藍羅は慌てて諦めにも似た感情を押し隠す。きっとあれやこれや言って、最終的には否定するのが好きな類だ。それまで色々上手くごねて納得した風に見えるのが尚更性格が悪い。
「ね、僕は好きで次男坊に、かつ蛮猫に生まれたわけじゃないし。それは実験体の彼にも言えるだろう? どうしようもないなって諦めるしかないんだよ、最終的にはね」
「妥協が必要と申すか、馬鹿公子。まあ真理ではあるけどな。どこも諦観してりゃ戦争にはなってねえわな。納得がいかねェって実力行使に出るから、こんな厄介な事になってんだろうな」
「実際に前線に立ってる人間が言うと妙に説得力あるね。恐れ入った」
 間を陣取り、ブラッドが床に座り込む。冷えていて辛いだろうと藍羅が口にしようと思えば、自ら寝袋を下敷きにした。
 長い付き合いのブラッドと、まともな会話をしたのは今日が初めてと言っても良いようなスハイツの気が妙に合っているように見えるところが、余計に藍羅に孤独を感じさせる。
 口を挟みにくい空気になってしまったので、藍羅は静かに口を閉ざした。