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COMPLEMENT
05 Similar Children

「かえせ」
 冷たい扉を一つ叩き、少年は叫ぶ。
「かえせ……返せ、帰せ、還せ!」
 言葉に詰まって咳き込む程長く叫んでも、腕が赤く腫れ上がる程扉を叩き続けても何の反応も返ってこない。向こう側に誰もいないのか、それとも聞かぬふりをしているのか。少年にとってはどちらでも関係がなかった。この場から今すぐにでも出、全てが元通りになればそれで良かった。
 数色の長いコードが足に絡む。身体を支配するコードがどこから伸びているのか知る由もない。自分で外す事は敵わないし、例え外せたとしてこの場所から出る方法があるのだろうか。
「話が違う、約束が違う、これはどういう事だ! 妹は無事なんだろうな、村の人達は誰一人殺さず無事にいるんだろうな!」
 答えの代わりに戻ってきたのは扉を蹴る鈍い音だった。結果が絶望的である事なんて自分がよく分かっている。約束は踏み躙られ、守られた試しなどない。
 独房のような狭い部屋に閉じ込められてどれくらいが経ったのだろうか。時々自分自身を上方から見下ろしているような感覚に陥る。惨めだ、愚かだ、馬鹿だなどと己自身を嘲笑する声が聞こえてくる。それは幻覚か、幻聴か、機械的な介入か。
 幻覚だと分かっていながら、まるで幽体離脱している気分だ。少年は衰弱していた。しかし床に寝転ぶ気にもなれない。
 端に実験用カプセルが覗く白い壁が視界を圧迫し、鉄に囲まれた少年はその場に崩れるように膝をついた。不意にガラスを叩く音が耳を突き、ゆっくりと振り返る。青緑の液体の向こうに自分とよく似た男の姿があった。
 何を話そうとしているのか。叫びすぎて麻痺した耳には声まではっきり聞き取れない。口の動きを凝視する事で内容を理解した。
――『全て忘れろ、これは悪い夢なんだ』だってさ。
 ふざけるな。内心吐き捨て少年は拳を固く握り直す。
「俺はお前を許さない」
 喉が焼けそうだ。ガラスの向こうの男の表情が曇る。どうせ何も分かっちゃくれない、少年は毒づきながらガラスを殴ろうと拳を振るった。頑丈な防弾ガラスに弾かれ、痛みだけが残る。歯を食いしばり、思うようにいかない有様に苛ついて壁を蹴った。自分が痛みを感じるばかりで打撃などこれっぽっちも与えられない。
「何でお前がそこにいるんだ、お前に俺の邪魔なんてさせやしない。消えろ、消えろ消えろ、消えていなくなれ」
 飄々としていてまるで何もかも理解った振りばかり。
 腹が立つ。
「俺は、お前なんかいらない!」
 己の物とも区別がつかなくなった声が脳髄を揺さぶる。
 頭が痛い。
 目の前の男は己から、家族も自由も権限も何もかも全て奪って行った。ならば奪い返したところで誰も咎めはしないだろう。正当な所有者である自分が己の物を取り返したところで、何人たりとも咎める事などできない。
「俺は、一人で十分だ」
 向こう側の男は口を閉ざす。ああそうかよと薄く笑う。いくらわらわれようと反抗せずにはいられない。今自分自身が手放してしまったら、何もかも自分の物がなくなってしまう。
 少年は冷たい床に転がり、暗い天上を見上げた。
 どれだけ暴れようと誰も殴りかかってくる事はない。力のない研究員では返り討ちにあうのが分かっているのだろう。薬物に浸して意識を朦朧とさせるばかりで、自傷する以外で怪我する事なんてなかった。
 麻痺した耳がかろうじて音を拾える程度に回復し始めた。壁の向こうの会話が何もない部屋に反響する。或いは高い位置にあるスピーカーを通して漏れてきたものだ。
『やっと静かになってくれたか』
 相手に話を聞く耳があるのなら、最初から暴れはしない。苦い思いを吐き出す場所もなく、少年は眉間に皺を寄せたまま目を瞑った。疲弊しきった体が休憩を欲しているのが分かる。
 部屋に充満している睡眠ガスの所為もあるだろう。四肢が重たく持ち上がらない。天井が歪み、己の意識が朦朧とし始めているのを自覚した。
『最近はよく独り言を洩らしてます。精神的に限界かもしれません。弄りすぎて自分が分からなくなっているなんて事はないはずです』
 弱弱しく呟く声が耳元を掠る。
 いつもの声だ。口を開けば謝罪と偽善しか吐き出さない、いつもの幼い声だ。
『健康状態は正常、ですが……意識がある時は暴れてるのが問題なくらいで』
『名はあるのか』
『いえ、被験体の名前は……』
『元のものは潰してしまえ、あいつは使い物にならん』
 低い男の声と高い少女らしき声が混じる。外の会話の内容など聞く気にもなれない。いるのは自分の事を悪く言い、薬物を使うしか能のない研究者くらいだ。
 但し、今回ばかりはいつもと違う声が聞こえた気がした。
『彼は最初に自分は……――だ、と名乗りました』
 肝心な部分が聞こえない。代わりに頭の中ではいつもの研究者の嘆願の囁きが響き、眠れ眠れとひたすらに繰り返す。
 少年は暫くの混迷の後、気力もなくして眠りについた。
 眠ってしまえば少しは楽になる。悪夢でなければ、確かに自らに害のないそこは救いの世界だ。不意に体が軽くなり、自分がすっかり反転してしまった事を悟った。
 
「化け物」
 耳を塞ぎ子供は俯く。膝を曲げ、その場に蹲る事で周囲の視線から逃れた。足元へ移した視線が揺らぐ。
 聞こえるか聞こえないか、そこが問題じゃない。周りの嘲笑と共に降る言葉は、既に脳に刷り込まれてしまっている。
「白い頭」
「赤い眼」
「残らぬ傷跡」
 子供は頭の中に残る残響に眉を顰めた。自然と押さえる手に力が篭る。泣く事も知らぬ、喚く事もできぬ、何も知らない子供だ。白い雪の上に座り込み、ただじっと耐えている。不気味だ、気味が悪いとひそひそ声が耳を打つ。
 廃墟に似た侘しさの残るビル街の隅で膝を抱え、目の前を過ぎていく人間の波を眺める。そこからは冷めた視線しか受けない。ぼろついた外套を纏い物乞いをする浮浪児だと思われているのだろう、自分自身そうなのだと思っている。
 何も知らなければ良かった。そう思うには時間が経ち過ぎている。いずれ覚えてしまう事だ、どちらにしても避けられない。どこかで自分にそう言い聞かせていたから、尚更身に覚えのない罵倒が辛かった。
 音もなく降り積もる雪を眺めながら小さな体を丸めた。爪先が冷え、指が悴む。そこ以外に行ける場所など知らなかったから、いくら寒くてもそこに蹲る事しかできなかった。
「……ここは……」
 不意に独り言のような声と共に暖かいものが横を通り過ぎる。それが人だと気が付き、膝を抱えて丸くなっていた子供はゆっくりと顔を上げた。
「誰だお前」
 口を開いたのが少年と知ると、子供は微かに眉を顰めた。目の前のそれは自分にとって不愉快な存在に違いない、そう思う事で瞬時に彼も敵だと判断する。いつもと何も変わらない、視界をうろつく自らの亡霊と同じだ。
「なるほど、お前も同じってわけか」
 小さく呟き、金髪の少年が手を差し伸べ、そして笑う。
「Hey, guy! What are you looking for?」
 馴染みのある異国の言葉で少年は問う。
 他人の親切は恩を売る行為、後に裏切りとして身に刻まれる。己が手を貸したところで全てに拒絶される。自分に親切心で声をかける人間などいない。繰り返された言葉の刃を受けて子供はすっかり人間不信に陥っていた。
 好意的な笑みではない事はとうに知れている。返す言葉は短くて構わない。最初から話すつもりなどないのだから、無駄は省けるだけ省いたところで損はない。
「誰だ」
 答えれば少年は肩を竦めて見せた。
「……なんだ通じるのか。寒いところは苦手か? ついて来い、そこは辛いだろ?」
「辛くはないけど好きじゃない」
 子供には少年の意図が理解できなかった。
 端的に答えれば少年は複雑な表情をし、仏頂面で続ける。
「だからついて来いって言ってるんだ」
 勢い良く引かれた腕が痛む。自分より遥かに身長の高い少年相手に力で敵うはずもなく、子供は引き摺られるように立ち上がった。視点が切り替わり、周囲の雪景色が変化していく。深々と降る雪はなくなり、辺りは草原の緑に包まれる。
 どこか、と問うより先に少年が口を開いた。
「ここは電子空間か?」
 尋ねられても答える術はない。それならば避けられ続ける自分は、その電子空間とやらに悪影響を及ぼすウィルスなのだろうか。それはそれで合点がいった。
「……意味が分からない、お前は誰だ」
「ああ、アルフロスト・メルティ。お前もどこかなんて知らないのか……あ、野暮な事は聞くなよ。お前が俺の夢の中の住人なんでもなきゃ多分、俺が配線を介してお前に干渉してる。だからここはお前の夢の中だ、現実じゃない」
 よく分からない事を言う少年だと思った。自分は恐らく言われている言葉の半分も理解できていない。
 しかし他に反応する言葉もなく子供は無意味に繰り返す。
「夢」
「そう、夢」
 再度言い聞かせるように慎重に答え、少年アルフロストが頭を撫で回す。上体ごとぐりぐりと回された子供は恨めしげにアルフロストを見上げ、短く息を吐いた。
「出ていけ」
「なに?」
 アルフロストはかがむようにしていた身を起こして目を丸くした。頭を掴んでいた手を離し、不機嫌そうに言葉を待つ。
 鬱陶しいと子供の表情が語る。子供は躊躇わない。視線を合わせる事もないまま淡白に続けた。
「出ていけって言った。無駄だ。お前は多分、平気な顔して俺に余計な期待をさせる……最悪だ、それなら最初からいない方がいい。早く出てって、お前なんていなかったことにしろ。目障りだ」
 吐き捨てた。アルフロストの表情が曇る。怒りか、哀しみか。どちらであるかは自然と理解できる。前者しかない。
 どつかれた額を押さえ、子供は口を閉ざす。アルフロストの意味の分からない言葉も信用ならなかったし、自分がこの場所から出る術など最初からないのだ。期待させるような事を言われたくはない。
 分かっている。これは親切ではない、期待してはいけない。
「最初からいなかったなら諦めもつく。親切な振りでお前に同情を求められても俺には理解できないし、お前にも俺は理解できない。嫌になる前に消えろ。ここから出られなくなった迷子なら手を貸してやる」
「そうだよ、俺は親切なんかじゃない! 親切にしたつもりもない!」
 突き飛ばされ、子供は咳き込んだ。力加減なんてものは微塵も感じられない。頭に血が上ったようで、アルフロストは顔を紅潮させ、本音そのままを吐き出した。
「くそっ、やっぱりお前もあいつらと何も変わらない」
「お前より劣っている『子供』に指摘されたのがそんなに悔しいか」
 誰を指しているのか理解しかね、子供は首を傾げた。夢だと言われた空間にも痛みは存在する。アルフロストと自分の理解はどこかで食い違っている。
「そりゃあ機能性では新しいお前よりは劣ってるだろうよ! だけどな、本当はお前だって気が付いてるんだろ。夢にしか逃げられない俺達に自由なんてものはない。自由に口を利く事も許されない、ここでしか馴れ合う事もできない。単なるモルモットにすぎない事くらい!」
 胸倉を掴まれ、細い腕に引き寄せられる。絡みついた服に首を絞められ喉が絞まるのを感じた。子供は腕から逃れようと身じろいだ。驚いて目を丸くしたのは耳慣れぬ言葉を耳にした所為だった。
「……モルモット?」
「知らなかったのか?」
「何の話だ、聞いた事もない」
 ゆるゆると指が開き、締め付ける力が弱まる。地面に踵をついた子供は戸惑った様子で服を正した。
「ヘッ、そういうことかよ」
 アルフロストの自嘲じみた独白もほとんど耳に入らない。
 嫌な事に目を伏せ耳を塞ぎ耐えてきた世界の外に、何があるのか。完全に理解の外だ。子供の視線が微かに揺らいだのを横目に、アルフロストは深く息を吸い込み、大きく溜め息をついた。何も知らない年下の子供に本気で八つ当たりしても己が惨めになるばかりだ。
 世界の色と同化した子供はやや目を伏せがちに自分から距離を取るのだ。
「俺はここしか知らない。時々こことは違うものを感じて頭を上げると、知らない奴がいるんだ。お前と違って嘘まみれの親切じゃないけれど、時々俺を馬鹿にしに来る奴がいる……俺はそれしか知らない」
「そいつは俺みたいな金髪だったか」
「色は似ている、雰囲気はこれっぽっちも」
「ふん」
 内心苦々しく思いながら、アルフロストは腰に手を当てた。自分が嫌っている男も、目の前の子供に干渉しているようだ。何もかもが気に食わない。
 子供は何も知らない。言いくるめてしまえば味方になりうるかもしれない。子供を頭からつま先まで観察し、そう思った。
「あの男を排除するには、ちょっとは使えるか……」
「何が」
「こっちの話だ、ここは思ってたより居心地が良いな」
「俺にとっては自分の夢の中ですら、こんな場所が心地良いとは思わない」
 自らを否定しない人間がいる場所と、自らすら否定され続ける場所。逃げ場のあるアルフロストを見、子供は毒づいた。渦巻く亡霊と違う点は、彼は自分に対して興味を示したという、たったそれだけの事。好意を持たれれば自然を心を許してしまうだろう、それがまた鬱陶しいと感じた理由の一つでもあった。
「外よりはマシさ、また来る。人に名乗らせたくせに、お前は名乗らないのか」
「名前はない、俺はここではnull無価値だ」
 アルフロストは表情を強張らせた。外で聞いていた話と違う。子供にふざけている様子は微塵もない。間違いなく嘘などついていない。興味に乏しい真っ赤な双眸が己の方を向き、アルフロストは静かに呟いた。
「そうか。じゃあお前はレイジだ、レイジ・クロガネ。外の連中は皆、お前をそう呼んでた」
「レイジ?」
「共通語で激昂という意味だそうだ、俺がつけたわけじゃないからよく知らねえ。東方では存在しない、自由って意味らしいけどな」
 暫く黙ったまま、子供は飲み込むように頷いた。
「怒りか、それも良い」
 何も持たない子供。共通点を見出して共感したのか、アルフロストは腹の内にどす黒いものを感じて僅かに俯いた。自分がされ続けてきた事だ、いまさら罪悪感など感じない。
「不変はつまらないだろ、隙を見てまた来る」
 アルフロストは口を開き、背を向ける。
 これで煩わしい喧騒からい解放される。そう思うとレイジにとっても少しは気が楽だった。
「もう来なくていい」
「……分かった。来るからな、絶対来るからな」
 こちらを指差し強調してアルフロストは去っていった。
 少しでも気を許したのは同じ夢を見た所為だろう。いつもの空間が戻った事に安堵し、吐き出された白い息を視界の隅に呟いた。
「久しぶりに……多く喋った」