Novel

COMPLEMENT
04 Red Hot Vertigo

*

 藍羅が引きつった笑みを浮かべながら研究所に連れて来た人物は、レブナンスではそう見られない褐色の肌だった。眩しささえ感じられる白さしか存在しない研究所の廊下に相反する、茶褐色の肌。
 命令されるだけの立場にあるサージェには、それが誰であるかまでは理解できなかった。
 辺りに見慣れた姿を探して視線を仰ぎ、頭一つ低い位置にある藍羅の耳元で呟く。
「姫様、そちらの方は?」
 褐色肌に藤色の眼、そして漆黒の髪。濃赤の上質な上着を羽織り、案内役らしいブラッドの脇に立っている。まだ子供の藍羅と比べて少しばかり大人びて見えた。
 藍羅は少し肩を落とし、落ち着いた声で告げる。
「エアドレイドの第二公子でスハイツ・トレンツ・エアドレイド殿下。公子、彼女が件の研究の第一人者のサージェ・クライナです」
 薄く笑みを浮かべてスハイツは手を差し出した。先日宣告にきた少年仕官と己の人形を足して、割ったような雰囲気だった。大人しそうに見えるが、口を開けば一癖ありそうな印象を持った。意図の読めない鋭い眼光がそれを語る。
 他国の上層部が突然来訪する機会はそう滅多にない。事前に何の知らせもなかった事を思い出し、サージェは公子の背後に控えているブラッドを睨めつけた。普段なら一言余計な事を言って場の空気を変えるブラッドだが、今回ばかりはやたら静かで気味が悪かった。
 静かに握手に応じて、サージェは混乱する頭で言葉を捻り出す。
「はあ……クライナ少尉であります。とは言っても、私の階級は然程軍に影響あるものではありませんが。エアドレイドは猫の国だと聞いております」
「そうそう、僕も数年前に耳が隠れたばかりだ。なかなか穏やかで良い場所だと思うんだけどね、こちらではあまり好かれてないみたいだ。奇異な目で見られてしまう」
「珍しがる人が多いから、耳と尻尾を隠して暮らしてる蛮猫が多いんですよ」
 実際は蛮猫の方がレブナンスに適していない所為か、寒さに耳を覆う猫が多い。サージェはそれを伏せたまま苦笑を浮かべた。当然そんな事は賢明な公子には理解できているだろう。
 エアドレイドの蛮猫は大人しい気質だが、北の蛮猫は気が短い。それを疎んだアイザックによる彼らへの圧制も、当然知らないわけがない。
「世知辛いねえ。藍羅嬢の代には我々と手を組めるようになるといいな」
 苦笑するスハイツに同じく苦笑で応じ、サージェはこめかみに青筋を浮かべてブラッドを肘で突付く。
「どういうことだ、ブラッド。公子が来るなんて聞かされてないぞ」
「俺だって聞いてねえよ」
 あからさまに嫌そうな顔をして、ブラッドは腕を組んだ。予想していた返答に呆れて何の言葉も返せない。見かねた藍羅が割り入ってそれを咎める。
「二人とも、公子の前よ」
「……失礼致しました」
「お構いなく、僕が連絡なく勝手に来ただけですから」
 首をかしげたのは藍羅だけではない。サージェも同様に曖昧な笑みで誤魔化してブラッドに視線を投げる。一斉に周囲の視線を集めたブラッドはたじたじながら、姿勢を正した。追い討ちはスハイツの一言である。
「ブレイズ、なんでお前僕に敬語使うんだ? お前と僕の仲だろう」
 背後でどういうことだと尋ねる二つの声が重なり、ブラッドは肩が重たくなるのを感じた。
「流石に、それは……勘弁して下さい」
 元来のいい加減さが災いし、その後散々文句を言われたのは記憶に新しい。幸いな事に、公子の不快を買うどころか第一公子と第二公子にはすっかり気に入られてしまったわけだが。
 スハイツは笑い飛ばした。
「あっはっは、上官にこってり絞られたか。まあどちらでも構わない、僕がむず痒い思いをするだけだな。ああ、何、前回の援護で世話になっただけさ。ブレイズとモントジエ中将の隊と仲良くなってね」
「そうなの?」
「お、恐れながら」
「それで今回は個人的に礼も含めて遊びに来たんだけど、どうやら面白い事をやってるそうじゃないか」
 何気なく問うスハイツに周囲の空気は一瞬にして転じた。静かで重たく、真面目な物だ。流石の藍羅もそれを察して口を閉ざす。答えられる程の言葉が見つからなかった。
 少し間を置いてサージェが口を開く。
「面白い事と言いますと」
「やだなあ、君達なら聞かされてないわけじゃないだろ?」
「……人体実験」
「そう! それの事。ウチでも使えないかと思ってね、実はちょっと期待してる」
 中身に反して口調は軽い。眉を顰めて無言で返すとスハイツの笑みは徐々に消えて行く。サージェの反応を伺っているようにも思えたし、冷酷な視線を向けているだけのようにも思えた。冷たい表情が苦笑にとって変わる頃には流石の本人も冗談だよと笑い飛ばしてみせる。
 ブラッドは思わず安堵した。但し本音はこうだ――本当に冗談であれば良かった。
「ところでスハイツ殿下、猫族の食べる物ってヒトと同じっすか」
 カタコトに問えばスハイツは口端を歪め、頷く。
「勿論」
「ああ良かった、それを聞いて安心した」
「ブラッド……お前、なんて頭の悪い質問をしてるんだ」
「いやあ」
 同じ種族出身であるスハイツが機嫌を崩さなかったのは幸いだとばかりに溜め息をつき、サージェは腕を組んだ。問題発言にも近い言葉を残したブラッドに、悪びれた様子など微塵もない。
「拾ってきた子の事? 今まで何あげてたの?」
「いやでかくなったら何か別の物食うのかと……女の子じゃなかったのが唯一の心残り」
「不純な動機にも程があるぞ、ロリコン」
 北の戦場から戻ってきたブラッドが連れてきたのは蛮猫の子供だ。いい加減なブラッドが戦争孤児を育てているなどという噂を聞き、数回会った事のある藍羅は状況を把握しかねて目を丸くする。藍羅の襟首を掴み、退けながらもサージェは軽蔑の眼差しを向けた。
「いーや、俺にはまだ自然迷彩のあいつがいる。あいつなら将来俺の癒しに……」
「あれも男だぞ、残念だったな」
「…………」
 サージェは容赦なく返す。きりきりとおかしな振り向きをする、恨めしげな視線とかち合った。
「しかも装備の問題で子供では実践投入できない、成長を促す必要がある。お前と顔を合わせる頃には成人男子だな。将来お前の副官になるんじゃないかと言われてるが」
 含み笑いで答えてやれば、ブラッドの表情は見る見る内に変わっていく。期待の表情も今や若干青褪めていた。頭を抱えたと思うとすぐにサージェを指差し、叫ぶ。
「ひっでえ、そいつァヒデェわ姐さん! 俺から悉く癒しを奪いやがって! この先血まみれた地獄しか待ち構えてない軍人の俺になんてご無体な!」
「軍人なら煩悩は捨て去れ馬鹿者。瞑想を習わなかったのか」
「姐さん姐さん、俺正規の軍人じゃない」
「ブレイズ、自然迷彩って何のことかな」
「うっ」
 傍らで様子を伺っていたスハイツが笑顔で割って入る。誤魔化しようのなくなったブラッドは溜め息混じりに肩を竦めて見せた。今更とぼけるつもりもないが、サージェは不意に頭を抱えたくなった。
 酷く空気が重たい。
 冷えた廊下に佇んだままの公子を気遣ってか、藍羅がブラッドの袖を引く。察してブラッドがスハイツに声をかけようとした頃に、サージェは苦笑を浮かべた。曖昧な笑みの意図を量りかね、何の言葉も返す事ができない。
「まあ寒い場所も何だからどこか部屋を空けよう、話はそれからだ」
「実験体をご覧になりますか、殿下」
 厳重な警備の敷かれた奥の部屋を指差しサージェが淡々と問えば、スハイツは無言の笑みで頷いた。
「是非」
 追い込まれていたサージェには、ただその一言で十分すぎる程だった。
 白い廊下の先に警備担当の軍人が立ち、鋼鉄の扉が視界を覆い尽くす。病んだ白の中にぽつんと存在する鈍色はかえって禍々しさすら感じさせる。脇にライフルを背負った警備員はサージェを敬礼で迎え、背後にいるスハイツと藍羅に気が付き慌てた様子を見せた。
 サージェの声によって扉が開かれる。奥には青緑と黒の空間が広がっていた。ゆっくりと閉ざされていく扉を横目に見ながらスハイツは得心する。
「声紋認証か成る程、声ならば指紋と違って指を切り落とすわけにもいかないな」
「物騒な事を仰いますね公子」
「おや、姫様はその可能性を考えないのかな。あらゆる可能性を考慮しておいた方が良いよ、動くのは部下だけど命令を下すのは君主だからね」
 そう笑うスハイツの言葉が理解できないわけではなかったが、藍羅は眉を顰めた。有り得ない事ではないが、あまり考えたくはない可能性だ。少なくともまだ幼い藍羅には。ブラッドとサージェはそこに何も口を挟まない。藍羅は己の判断で話を聞くしかなかった。
 暗い部屋の傍らに大きな装置が敷かれ、培養槽と思しき巨大なカプセルが並ぶ。脇をすり抜けるように部屋の隅へ歩み寄ったサージェが口を開く。
「少し暗いのは勘弁を。こいつ一体のために、大量のサンプルが無駄になりました」
 照明が点灯し、薄暗い部屋を俄かに明るくする。青緑の光の中に浮かんだ白に注意を奪われる。
「いつ見てもすげェ色してんな、本当に真っ白だ」
 ブラッドはカプセルに手をつき、覗き込む。スハイツも興味を引かれた素振りで近寄った。
 中には生命維持装置に囲まれた子供が眠っている。体毛の純白さにも目を奪われたが、肌の色までもが白い。
「凄いなこれは、自然迷彩とはこういう事か」
 スハイツが感嘆の言葉を洩らす。サージェはそれに似た言葉を耳にする度に罪悪感に駆られた。目の前にある一つのカプセルのために、どれだけ試作を重ね無駄にした事か。
「雪が溶け切らずに残るレブナンスならではの白だな。市外戦を想定してるのかな」
「基本は防衛です。正当防衛ならば誰も文句は言えまい」
「尤もだな」
 頷くスハイツの傍らで、ガラスに張り付いたままのブラッドは目を瞠る。それが気の所為でないのであれば、以前見に来た時の自分の膝元までしかなかった体躯は、少し成長しているような気がした。サージェの言葉は強ち嘘ではないという事か。
 息を呑んだ。
「こんなふわふわしたのが、本当に男だってのか」
 再び確認するブラッドの視線が己に向いたと知り、サージェは肩を竦めた。
「分かった、お前の元に送る時には今の長い髪をばっさり切ってやる」
「なんつー嫌がらせ」
 舌打ちしながらカプセルから一歩退く。目の前にあるものが人間だと認識した事はない。認識してしまったら負けだと己自身に言い聞かせてある。まるで造り物のような人形は、文字通り人形のように培養液に浸されたまま存在している。
 しかしながら、ブラッドとサージェの暗黙の了解は藍羅には通用しない。藍羅はサージェの白衣の裾を掴み、真っ青な顔をゆっくりと上げ、唇を割った。
「サージェ、これは何なの……これはどういう事なの? これは人でしょう? 何でそんな物の中に入ってるの? 死体じゃなくて、生きてるんでしょ!?」
「姫……」
「誰の命令? 誰の知恵? 知らなかったのはあたしだけ?」
 戦慄く唇は震え、握る拳に力が篭る。針のような棘で胸を刺された思いで、サージェは俯いた。
「姫、人ではあるけど人間じゃない、武器なんだ……こいつは……」
 ようやっと年齢が二桁を越えたばかりの少女は、己が並べた数字がどう扱われてきたかなど知らない。真実の一つも教えてやる事ができなかったサージェが、今更どんな言い訳を並べたところで賢明な少女はそれが嘘だと見抜いてしまう。
「出してあげる、出してあげるその檻から。そこは生きた人間のいる場所じゃないもの」
 藍羅は静かに後退しながら、開錠装置に手をかける。鈍い音を立てながら開いた扉の向こうに姿を消し、藍羅は部屋を去った。警備員が不安そうにこちらの指示を伺っていたが、誰も何の命令も下さない。誰もそれを止める事はできなかった。
「追わなくて良いのかな?」
 スハイツが躊躇いがちに問い、サージェは首を横に振った。
「今はそっとさせてやりたい……追ったところでかけてやれる言葉もないし、姫には何もできない」
 同時に、カプセルに額をぶつけて男は膝を突く。機械の無機質な作動音に脳を揺す振られ、意識が抜け落ちる感覚を覚えた。近くに佇んでいたスハイツが肩を軽く叩き、顔を覗き込む。
「ブレイズ、どうした」
 声が遠くて聞き取りにくい。歪んだ声は暫くして耳に届き、何を問われたかブラッドが理解するまでに暫くの時間を要した。視界がぐらりと一回転し、ついた手に体重を預け寄りかかって始めて目が回っているのだと自覚する。
 高温のフィルターがかかったような聞こえ方に覚えがあり、ブラッドは一呼吸置いて答える。
「耳鳴りが」
「横になるか?――クライナ少尉、少し休憩しよう」
 藍羅を追う事もできず、ブラッドに肩を貸してやる事もできず、サージェは躊躇いがちに頷いた。