Novel

COMPLEMENT
03 twiced mistake

「姫様、私は間違いを犯すかもしれない」
 無事に戻ってきた一人の少女が呟いた言葉はあまりに切羽詰っていて、傍らで見守る事しか許されていなかった藍羅には理解し難かった。
 北の戦場から戻ってきた少年仕官とその補佐である少女は、テナウ=ハサハ鎮圧という成果を携えて無事に戻ってきた。その甲斐あってエアドレイドも未だレブナンスに手を出せずにいる。それはそれで構わない。
 負傷の程が無事というかどうかは定かではないが、命あるかないかで考えれば藍羅にとってそれが上出来な結果である事に何ら変わりはない。しかし負傷したブラッドに目もくれず、サージェは落ち着かない様子で藍羅の元を訪れた。
「今回の件で負傷したブラッドに代わる、新たな武器を作れと」
「待って待って、ゆっくり話してサージェ。何があったの?」
 視線の泳ぐ少女を半ば無理矢理座らせ、藍羅は温いコーヒーを差し出した。隔離棟の広い会議室に半円を描く机の端に、少女は二人固まっていた。震える手でカップを手に取り、暫くしてからサージェはやっと落ち着きを見せた。
 ただ事ではないと思った。
「ブラッドが仔猫を連れ帰った、これは別に良い。閣下の気に触るような事はなかった。でもな、でも」
 言葉を濁してサージェは俯いた。その続きに深い意味があるのか、僅かながらに感じ取って藍羅は何も言わなかった。ブラッドが負傷した、それは噂にも聞いている。程度は知らないが、騒がれるようならそれなりに酷いのだろう。それでも翌日にはあっけらかんとして藍羅の前に現れる。そんな男だから、あまり心配はしていなかった。
 問題はサージェだ。明らかに様子のおかしい彼女から、欲しい情報を引き出す事は容易ではないだろう。
「閣下は人の形をした武器をご所望だ、でもそれは噂に過ぎない」
 頭上で聞き慣れない声がして、藍羅は心底驚いた。それはサージェも同じようで、手にしていたカップを危うく落とすところで手元に気が付いた。見やれば会議室の入り口に、見覚えのない少年が立っている。ミルクティーを思わせる薄い茶の髪に、鋭い紫の双眸がこちらを見据える。張り付いた微笑から僅かな不快を感じ取って、藍羅は息を呑んだ。
「返事がなかったので勝手に失礼します、クライナ少尉は貴方ですか?」
 柔らかい声音で割り込んできた少年の軍服を見やる。襟元には赤いラインが見えた。アネモネ・モントジエ中将の部下だと藍羅が気が付いたのは、サージェが少年に応じて立ち上がってからだった。
「モントジエ中将からの伝言です、貴方の身を案じての事らしいですが。閣下のご意向、貴方がどこかで漏らす事のないよう。僕が寄越された意味、理解してますよね?」
「……中将に礼を言っておいてくれ、首の皮一枚繋がったと。危うく漏らすところだった」
 短く呟き、サージェは再び俯いた。彼女の陰りのある表情に、どこか満足しながら少年は一礼する。あれは己より上の場所にいる、同じ年代の人間に対して敵意を持つ目だ。藍羅は何となくそんな事を思いながら、黙ってやり取りを見ていた。
 中将と少年仕官に釘を刺された。サージェはもう不安を漏らす事はないだろう。所詮藍羅は除け者だ。不満を覚えたが、敢えて口にしなかった。
「あたしに続きを言わなくていいの?」
 平然を装って訊いてみる。サージェは複雑な表情を晴らす事なく、溜め息をついた。
「私の命が掛かっている、聞かなかった事にしてくれ」
 そう言われて否と言えるほど、藍羅には力がなかった。
 
 研究棟の研究資金は国が提供している。国のために使われる技術を育て、行使して来た。サージェが所属するのはその中でも極秘とされてきた、人体実験を司るチームだ。藍羅にはそこまでの知識しかなかったが、彼女自身研究施設に押し込められ、ほとんど日の目を見る事なく研究に没頭する身である。何となくサージェの境遇は理解できた。
 元々アイザック・レブナンスがいたのも同じ場所だった。国王が研究棟に対して力を持つのも俄かに反論し難い事実だったし、何より誰も己の命を危険に曝してまで事の是非を問おうとするほど熱心ではなかった。己の研究を満足にさせてくれる、それだけで十分魅力的な場所だった。
 サージェにとって、それが恐ろしい魔の巣窟であると理解を改めさせたのは、アイザックの一言を機に始まる。
「武器は温存していても意味がない、使わなければ。だがもし武器に意思があったら。どうだ?」
 学者一族の端くれとして然るべき結果を残して今の場所に立ったサージェにとって、これ程頭を悩ませる問題はなかった。
「いや、下手に意思があっても害になるだけだな。人の形をしていたらどうだね。古くから体内に爆薬を持ったまま自爆するやり手も絶えないのだ、考えられない話ではないな」
 それはまるで、新しい遊びを提案するようだった。
「時にクライナ少尉、大佐の調子はどうだね」
 唐突に尋ねられてサージェは口篭った。己の中の罪悪感を呼び起こすような問いかけをしてくる男に、何の気構えもなく本音を洩らしてはいけない。窓の外を静かに流れる雪を見つめ、どこか遠くへ向かう意識を必死で引き戻しながら、サージェは腹に力を篭めた。
「順調です、閣下」
 アイザックに逆らおうとブラッドのように反抗を示せる程、サージェに勇気はなかったのである。
 回数を重ねた実験の後、有効な方法が見つかれば見つかる程、打ち捨てられる実験体の数は増えた。物言わぬ胎児が恨めしげに睨んでくるようで、サージェには気味が悪くて仕方がなかった。地下研究棟の最奥に位置する広い実験室は、ホルマリン漬けにされた失敗作で埋もれていた。
 一見して幽霊屋敷だ。恐らくそれよりも遥かに性質の悪い、醒める事のない悪夢を見ているようだった。
 足元の空気を一瞬にして凍てつかせる冷凍保存庫も、青緑の美しい――但し中に入れられるのは忌々しい実験の産物である培養槽も、全てが事前に用意されていた。
「ブラッドとのバランスを考えたら、機動力があった方が良いな。ブラッドの回復力も大した結果だが、あれよりも速度を上げれば尚の事実践に耐えるだろう」
 そういうことを平気で口にできるようになるまで、長い年月が必要だった。
 駄目だと判断したら己の手で殺す。足元を転がる胎児の群れに、日々悩まされた。寝ても覚めても悪夢は変わらない。サージェは狂気の渦に巻き込まれ、最早正常な判断力を失って久しかった。
「げっそりしてる。目の隈は前からだとしても、最近目に見えてヒドイ」
 唐突に研究棟を訪れて容赦なく現状を叩きつけ、すっかり怪我も完治したブラッドは率直な感想を述べた。
 白と灰でまとめられた機材と部屋に視線を投げ、外の雪の色と何ら変わらないやなどとぼやいて乱暴に椅子に座る。
 実験成果にではなく、サージェ自身に投げかけられた言葉だったのが、何より容赦なかった。周囲の研究員が慌てて止めに入ろうとしたが、それには腕力が応じる。
 ブラッドが黒いプラスチック状のカードを一枚かざせば、誰もが押し黙った。是非を問うには彼らは飼い慣らされすぎていた。
「あと痩せた。健康的なスレンダーならモロに俺の好みにハマってくれるけど、不健康に細い。こりゃ良かない」
「大佐殿、言って良い事と悪い事があります」
「で、どいつが上手く行きそうなんだ」
 ブラッドのあまりに投げやりで他人事な言葉に、サージェは嫌悪した。結局彼も実験体を人間とは思っていない。皆どこか螺子が外れてしまったんだ、と一人寂しく思う。己自身が一番そんな事を考えてはいけないのだと、気付く余地もない。
 ディルが嫌そうに机にマグカップを置く。淹れられた茶はサージェ仕様に温くなっていたが、ブラッドはそれに関して何も言わなかった。片っ端から培養槽を覗き込んでは、こいつは好みだのこれは駄目だなど、わけの分からない感想を残して行く。
 何しに来たのか分かったものではない。態度とは裏腹に鬱陶しがりながらも、サージェはどこか救われた気分でいた。閣下に求められるがままに最高を求めれば求めるほど皆が研究に没頭し、気が滅入ってしまう。
 そういった意味では、ブラッドの来訪は空気を破壊しながらではあるが、気持ちの余裕を取り戻すのに一役買った。
「端の白い子供だ、一番見込みがある。後にお前の武器になるだろう。お前がぼやいていた名前はどうなった?」
 以前襲来した時に名前をつけるなどと言って、結局悩むに終わったブラッドに投げやりに視線を傾ける。サージェにはあまり興味のない話だ、名前をつけて変に愛着が沸いてしまう事の方が恐ろしかった。
くろがね、そうだな鐵だ。東の名前がいい、東の言葉は文字一つに意味があるくらい重たいって聞くしな」
 大きな独り言を呟いてブラッドは構わず続ける。
「レイジ、零に仕でレイジはどうだ。アルフィタ風に言えば怒りにもなる。いいね、俺の気持ち的には最高だ」
「お前にしてはいやに凝ったものを考えたな」
「咄嗟の思いつき」
 サージェは閉口した。そうでなければこの男に良いものなど考えもつくまい。大雑把でいい加減、有り体の言葉しか語らない、それがブラッドだ。予想に反して名が良かった所為か、サージェはカップ片手に安堵した。傍目に様子を見守るディルにしてみれば、おかしな光景他ならない事など本人が知るはずもない。
 サージェはただ、生かしたいがために狂った実験を繰り返していたのだ。そんな事はブラッドにも藍羅にもとうに分かりきっている。藍羅はただ知らされていなかった。人が神の領域に踏み込む、その報いがいかにして己が身に降りかかるかなど考えもしなかった。
 ブラッドは満足げに名前を頭に叩き込むと、音もなく立ち上がった。
「俺の事は気にすンな、なんとかなる。姐さんは姐さんが思うようにすりゃいいさ」
 それが何を意味しているのか、なんとなく分かりかけて口にするのをやめた。
「んじゃ呼ばれる前に戻るわ、またな」
 他の研究員とも軽い挨拶を交わし、ブラッドは研究棟を去った。嵐のような男だと思った。放り出されたままの机の上の有様を顰めっ面で眺めながら、ディルが悪態付く。
「ついでだから片付けていってくれれば、何も言うことはないのに」
「全くだな」
「でも少し安心しました。調子が戻ってきたみたいで」
 苦い表情で笑うディルに見透かされていた事を恥じ、サージェは有耶無耶に笑み返した。
「作業に戻ろう。あんまり休憩していても、やる気が損なわれるだけだしな」
 力強く肩を叩けば、ディルは呻きながら涙目で恨み言を訴えた。聞かなかった振りを決め込んで、窓の外に映る薄暗い灰色の空を見上げる。
 状況は変わらない、実験は続く。
 それは事実であって、どんな理由付けをしようとも変えようがない。それでも自分が思うようにして良いのだと、ブラッドは言う。だがサージェの手の内には既にいくつもの間違いがある。それを正さず放置したまま全て打ち止めというわけにもいかない。
 せめて藍羅は。せめて次を担う藍羅は是非を問う人であって欲しいと願わんばかりだ。ブラッドが守り、周囲が活かす。サージェの入る隙はない。休憩で暫し部屋を出た研究員がぽつぽつと戻り始める中、サージェの思考は堂々巡りに陥り、人知れず机の上で頭を抱えた。
「叱咤してくれる人間がこれほど欲しいと思った事はないな」
 独白し、苦しい胸の内を吐露できる人間がブラッド一人しかいない事に気が付く。
「駄目だ、私は間違えた。認める事は出来ても私に抗う勇気などない。私は駄目な人間だな、本当に……」
 やがて目を覚ます魔人が己を恨もうと、サージェにはそれさえ仕方ないと笑って受け入れるしか道が残されていなかった。例え逃がしたところで軍の手に捕まれば逃げ道はないし、己の意思すら尊重されずただ武器として扱われる。
 他の研究員にも内緒の大博打を打った。アイザックが害だと述べた意思を、実験体に持たせたのだ。徐々に削り取る必要もない、最初からなければ良かったような代物ではあるが。
 窓に水滴を残す白銀の世界は全てを拒む。外の白によく似た色の実験体を見て、サージェは己がそれに拒絶されるだろう事を悟った。