Novel

COMPLEMENT
02 Pluck of Murder

 国としてのレブナンスの最北端をいうのなら、今はまだレブナンスと呼ぶしかない。北の大地はアルカサスという小さな村に終わり、貿易で栄えた交易の港テナウ=ハサハを挟んでレブナンスまで、小国一つはすっぽり収まるであろう距離が開いている。
 テナウ=ハサハは難民の受け入れに寛容で、南方人種特有の褐色肌を見る事ができれば、東国ブライガの黄色や小柄な猫の一族もところどころに見る事ができた。人間と進化の過程を違えた、人間によく似た種族がいる。
 知能の程は人間と変わらず、夜目がヒトより多少効く事以外に人間に劣るところもなければ、優るところも特筆すべきものは何もない。つまるところ、姿形が少し違うだけの人間なのである。
 中央レブナンスの元首であるアイザック・レブナンスは彼ら種族――蛮猫ばんびょうを酷く気味悪がった。
 蛮猫差別はアイザックの一言を機に始まった。地方駐屯の師団が動いたのは、一人の蛮猫の子供が空腹を理由にパンを盗んだ事による。
「覚えろ、南に猫が王の国がある。南のエアドレイドの公子は三人で全員男だ、上からアベラルド、スハイツ、ハイメ」
 藍羅にはそれが何かの呪文のようにしか思えなかったが、ブラッドが淡々と告げるので重要な事なのだと理解した。その頃の藍羅に理解できたのは、国が土地を欲しがっている事と、蛮猫と人間が仲が悪いという至極単純な事だった。
「姫さんと年が近いのはハイメ。姫さんより一つ下。エアドレイドが切り札を使うとしたら、多分スハイツが引き合いに出されるだろうな。アイツの方が年上だから。ああでも、アベラルドも結構……いや、それはないと思いたい」
 素っ気なく言って、ブラッドは椅子にもたれた。妙に疲れているように見えたのは、藍羅の気の所為ではないだろう。顔を覗き込んで様子を伺ってみれば、いかにも寝不足ですと言いたげに視界を遮られてしまった。
「お前に覇気がないのは珍しいな、調子が狂う」
 脇から少女が苦笑すれば、ブラッドはぐったりと、椅子からずり落ちるように伸びた。
「変な時間に叩き起こされて、無駄にこき使われるから過労死寸前……変な夢ばっかり見て余計しんどい」
「そんな冗談言っていられる余裕があるなら、まだ大丈夫だな」
 ブラッドの悲鳴じみた言葉さえ容赦なく打ち捨てて、机に書類を広げながら赤髪の少女は憂う。
「南を敵に回せば北と南からの挟み撃ちだ、外交が重要になるな。閣下が何を考えてるのか、私にはさっぱりだ」
「なんで蛮猫はあたし達を嫌うの?」
 疑問に思って問うてみれば、サージェは曇った表情で呻いた。
「彼らが私達を嫌ってるんじゃない、私達が彼らを突き放した。閣下の失言が発端とされてるよ。彼らは私達と同じ知能を有しているが、姿が劣っているのだと」
 ああまた難しい話だ、と藍羅の気は少し遠退く。難しい問題を解決するには時間が必要だ。そこまでは分かるが、具体的にどうしたら良いかなどと家庭教師の如く問われてしまえば、藍羅にはただ時間が解決するのではないかと答えるしかなかった。
 珍しくブラッドも慎重な面持ちで立ち上がり、本棚の本を漁り始めた。何を探しているのかまでは分からなかったが、その様子が緊張による落ち着かなさだと気がついたのは、彼が同じ行動を何度も繰り返していた所為だろう。
「南のエアドレイドは戦争慣れしてないからな、何とかなるかもしれねェけど」
「北方を放って、南と和解できるなら苦労はしないだろうな。北の猫は生真面目で勇敢だから、傭兵に持って来いだと言うぞ」
「大陸続きってのは、何かと飛び火して面倒なもんだ。でも、北の猫を相手にしたくはないな」
 特に兵力として前線に引きずり出される張本人であるブラッドには、身に染みて分かる。
「あたし達と、他の軍人みたいな関係なのかな」
 藍羅は唐突に呟いた。
 非情なまでに実力を重視するレブナンスは、年齢は実力と比例していないことを如実に証明している。その場にいた三人は特に疎んじられている側の人間だ。自らが優っていると見下して、優劣をつけたがる。蛮猫族に対する視点も、それとあまり変わらないような気がした。
 ファイルをいくつか机に放って、ブラッドは乱暴に椅子に座った。軋んだ音が薄暗い会議室に響き渡る。彼を隔離するために設立された第12旅団だが、兵舎として与えられたのは古くなった倉庫にも等しい、何もない空間だった。
 必死で片付けて何とか使えるようにはなったが、それでもまだ手を入れていない場所は多い。藍羅は毛布に包まり、ばねのはみ出たソファを占拠した。
「今南は第5師団が対応に当たってるらしいな、頭の固い連中しかいない。私達も引きずり出されるやもしれんぞ」
 サージェの言葉は陰鬱と、事実を述べているだけではあるが後ろ暗い感じがした。手にしたカップからは湯気が漏れ、室内を僅かに温める。サージェは苦笑しながら続きを述べた。
「姫に半分流れる血はね、東国のものだ。東国ブライガも元々交渉に失敗して、戦争によって手に入れた領土なんだ。それと同じにならないか、心配だな」
「決めるのは俺達じゃねェかンな、指示を待つしかねェさ」
 暫く書類と睨めっこをしていたがやがて飽きたのか、ブラッドが全て放り投げて大きく欠伸した。個人では何も出来ないのは分かりきっている。彼が気にしているのはその後の事だった。
 彼が黙ると室内は一転して沈黙に支配される。時間の歩みを知らせる秒針の音が耳朶を打つ。窓の外は相変わらず冷えた白さしか見えなかったが、雪の白は虚無的で何故か安心した。そこに動乱の赤など存在しない。
 毛布を被ったまま窓辺へ寄り、窓から外を見下ろしてみる。中央塔セントラル・タワーはレブナンス中央の高い場所にあったが、下層の街は雪の白さと凍える空気に邪魔されて、灰にぼやけて輪郭がはっきりとしなかった。
 実に静かなものである。雪の降る音さえ聞こえてきそうだ。
 藍羅はどうにもならない歯痒さを抱いたまま、窓に寄りかかる。すると沈黙を裂いてビープ音が鳴った。心臓が飛び出さんばかりに驚いて、思わず肩を抱く。何事かと辺りを見回して、発信源が内線だと気がつき安堵する。
「なんだよなんだよ煩ェなあ」
 機嫌悪く立ち上がり、ブラッドが内線を手に取った。相手は本部か、幾らかやり取りする内に敬語が戻って来る。不思議な感覚だった。
「どうした、ブラッド。呼び出しか?」
「呼び出しだわな、戦地への」
 サージェが複雑な表情で問えば、ブラッドは肩を竦めてみせた。
 
「大佐とクライナ少尉は暫く留守にするそうです、その間は私が姫様のお側にいるようにと仰せつけられました」
 そう言って藍羅の前に現れたのは、浅黄の軍服の襟元に、赤く太い二本のラインを持った女性士官だった。それが第三師団の中将のものであると知ったのは、ひとえにブラッドの愚痴と称した教育の賜物だろう。
「アネモネ・モントジエと申します。御用の際は何なりと仰って下さい」
「モントジエ……西の人?」
 聞き慣れない響きに首を傾げてみれば、アネモネは武人らしかぬ柔らかい微笑を浮かべて当たりです、と答えた。
 アネモネはい人だった。女性でありながら中将という高い階級にいるにも関わらず、驕ることもなければ、藍羅に媚びる事もしなかった。ブラッドとサージェという遊び相手が戦場に赴いてからの藍羅は、アネモネによく懐いた。他に声をかけて構ってくれるような大人が周りにいなかった。
 仕事の邪魔にならないようにと気を利かせてみたつもりだが、実際彼女にそれほどの暇はなかったようで、アネモネの仕事場に本とコンソールごと招かれた藍羅は、研究施設にいる時と同じ作業を繰り返していた。魔法の開発である。
「兵法を知るのも良いでしょう、やがては貴方も学ぶ事でしょうから」
 アネモネは特に怒らず、喜んで迎えてくれた。藍羅にはそれが嬉しかった。
 白を貴重とした清潔感漂う兵舎は、旅団の薄暗い何もない倉庫とはまるで正反対だった。その分、人間関係すらも淡白に見えて仕方がなかったが、丁度その頃そこに所属していた一人の少年が、藍羅に気を留めたことは彼女は知らない。
「アネモネは母様のことを知ってる?」
麗羅レイラ様ですか?」
 コンソールを叩く手を止めて、数字と化学式の羅列から目を離さず呟いた。不意に訊いてみれば、アネモネはうーんと唸って作業の手を止めた。知らぬ様子でない事は、何となしに分かった。
「麗羅・キリアキ、東国ブライガの豪族の出で、東で婚姻していた身らしいですが一度夫を戦争で亡くしてます。レブナンスに迎えられてからは、良き妻だったと。あちらでは親しみを込めて、麗姫レイフィなんて呼ばれているらしいですが」
「皆、そう言うのよね」
 模範のような解答に、藍羅は困惑の表情を浮かべた。それ以上誰も知らないのか、それとも口止めされているのだろうか。藍羅は母をよく知らない。
「ああでも、彼女の義兄弟に当たる方は生存してますよ。ブライガ大使で、確か嘉一カイチ様と仰って……姫様、寂しいのですか?」
 曖昧に濁された言葉の先に、藍羅は驚いた。彼女はどこかサージェと似ている。年齢こそ一回りは違えど、似たような雰囲気を持っていると思った。アネモネが苦笑しながら訊いて来た言葉に、藍羅は何も返事をする事ができなかった。
 第三師団の張り詰めた空気を藍羅は知っている。ブラッドに感じていたものとよく似た緊張感が、この場所にも漂っている。どこも安全でなどないのだ。アイザックは矛盾している。矛盾を指摘しようと藍羅が立ち上がれば、何かと理由をつけて更に遠くへ行ってしまう。
 彼の娘と言われても、藍羅にはその距離が酷く遠く感じられる。藍羅が幼い頃に亡くなったと言われる母でさえも遠く感じるのだ。
 アネモネのさり気ない一言は、確かに的を得ていた。
「ブラッドが早く帰ってくればいいのに」
「北には勝てましょう、ブラッド・バーン・ブレイズは今のところ不敗です」
「でも怪我して帰ってくるのを見るのは嫌、ブラッドがブラッドでなくなる瞬間があるのよ。上手く言えないけど、そうね。戦場で何かに取り憑かれてくるようで、気味が悪いんだわ」
 得体の知れない不安を言葉に代えながら、藍羅は静かに目を伏せた。体温を残したコンソールが再び冷えるまでに時間は要らなかった。何もする気になれない、それをただ体現しているに過ぎない。何をどう努力しても結果に表れないのだ、何の意味もない。
 ブラッドとサージェは果たして無事に戻ってくるのか。何故師団よりも少数で無力な彼らを選んだのか。父に思うところは沢山あったが、それを口にしてはいけないと誰もが藍羅を窘めてきた。
「彼を癒しこそすれ、止めてはなりませんよ姫様。彼は軍人です。うちの団にも優秀な軍人はいますけれど、大佐と比べたら視野が狭くて使い物になりやしません」
 言葉の意図するところを図りかね、藍羅は目を丸くした。
「ブラッド一人で出来ることを、父様が期待しているというの?」
「でも大佐は気が付いていないでしょうね。彼は自ら窮地に落ちていくのが得意ですから」
 アネモネは普段からの微笑を薄め、酷く冷めた目で静かに呟くのだ。
「姫様、これだけは覚えておいて下さいな。我々軍人は国のためなれと力を振るえど、他国から見れば人殺しと何も変わらないのです。この国における英雄ですら、人殺しを国家のためと正当化しているだけの大量虐殺者なのです」
 あまりに凄惨な言葉は傷口に染みる水のようで、やたらと時間をかけて藍羅の思考に染み込んだ。
 それは彼女達軍人に当てはまる事に限らない。アネモネが言いたい事の半分も理解できている、と思える程藍羅は己が賢いとは思っていなかった。それでも一つ分かる事があるとするのなら。
 ブラッドも別に、彼女達と何一つ変わらないのだ。アネモネの遠回しの言葉に、ようやくにして気が付く事ができた。人を殺してきた人間が、人に殺されることを恐れる謂れなどないのだと。
 戦場は無情だ。そこに生死をかけたドラマを期待してはならない。本人がどこまで己自身の事を知っているかなど、まるで意味がないと嘲笑う。藍羅には、国王が常々にして誇る"レブナンスの武器"が何であるか、知るよしもなかった。