Novel

EXTRA SCENE
now, feeling better

 まだ腕はある。垂れた頭を軽く上げて前を見る。
 まだ足もある。痛む背を張って、ゆっくりと立ち上がる。動きに合わせて、頭上を覆っていた薄いアルミ板が音を立てて崩れた。焼け付く痛みに薄ら声を上げ、傷口が抉られたと思われる箇所に手を当てた。負傷したのは左肩だった。軍服の肩口は朱に染まり、赤い鮮血が指を伝う。
 辺りにはもう何も残っていなかった。目の前にあったはずの建物は倒壊し、眼下に広がるのはただ一面の瓦礫ばかり。モノクロを染めた一面のさび付いた赤銅色に、心底辟易した。
 すっかり見慣れてしまった光景だが、そこから感じる物には未だ慣れる事がない。所々で呻く苦悶の悲鳴から耳を塞いだ。指の隙間を縫って灰の声が唸り続ける。
 聞きたくない、訊きたくない。
 耳を突いた。死の縁から呼ぶ声が。
 この世界に生まれ落ちてまだ3年。主によって狂わされ、噛み合わなくなった歯車を独りで廻す。彼が拒んだ世界を受け入れるしかなかった。そうしてしか自分は生きる事ができないと、無意識に理解していたからだ。そこに希望の類は何もない。あるのは底知れない憎悪と苦痛。
「いやになるね」
 姿の見えない同僚に向けて呟く。死んでいなければそこにいるはずだ。
 そこいらから立ち上る粉塵を見上げて、薄闇の空を舞う雪を嫌悪した。果てまで行こうとも決して暖まる場所などない。永久に続く暗闇の端を見てみたいものだ。
「流石に俺でも死ぬかと思ってた」
 投げた言葉に返事がない事を認め、それでも続ける。これではまるで独り言だ。
「出て来てくれよ、アンタは俺が守らなくても死なないだろ。だから心配もしてない」
 少しからかうとすぐ憎まれ口を叩く人間が、何の反応もないとは薄気味悪い。悴んだ指先を折り、痺れた膝を再び地面につく。視界の果てまで続くこの残骸が、いっその事消えてなくなってしまえば良いのだと思った。
 また、生き残った。
 死ねるのならとうに死んでいただろう。自分はその術を持たない。
 微かに金属の擦れ合う音が聞こえる。生死は互いに騙せない。短い赤い髪を肌に纏わりつかせながら、瓦礫の下敷きになっていた少年とも少女とも覚束ない同僚は舌打ちをした。寝起きのような不機嫌な面構えで、こちらを見据えて毒づく。
「私とお前、どちらが死神に憑かれてると思う」
「どっちにも憑いてて、倍率ドンってトコかな」
「ふむ、無難な回答だな。……傷口を見せてみろ」
 特に興味なさそうに同僚は立ち上がった。鉄骨やコンクリートの下敷きになっていた割に、ものの見事に無傷だ。腹立たしい。
 他に生きている人間は見当たらなかった。隣にいる同僚――傍目には年齢差もほとんど感じられない、年上の少女だけが自分以外の唯一の生存者だった。
「皆吹き飛んでしまったな」
「戦争だかんな」
 魔法なんて大層な物を導入したから、こうなった。そう思わざるを得ない。弱小国家が生き残るには、余りに埋め難い武力差。こんなものを誰にでも簡単に使えるものに、などと考える皇女の気が知れない。
 手にした救急箱から包帯を取り出し、ぶっきらぼうな女医が溜め息をついた。
「アルフロストはどうした?」
「……知らない」
「助かったのは我々だけか」
 見渡せば目に入るのは屍の山ばかり。地獄にいるのかと錯覚しそうな汚臭。民間人にすら生存者は見受けられない。この状況で、一体どちらが勝ち残ったと言えるのか。戦場で最後まで立っていた方が勝者であると、そう云うのか。
 不意に静かな空間に子供の泣き声を聞いた。仔猫のような、非人間的なものだった。目で追ってみたがその影は見えない。生きた心地のしない、悪い夢でも見ている気分になる。
「ブラッド、動くな。傷口が開くぞ」
 少女は硬い表情で指先を血に染める。軽い治療だけしてあれば、後はどうにでもなる。腕を振り解こうとも思ったが、内心それどころではなかった。
 怪訝な表情を浮かべてこちらを見上げ、少女は再び叫んだ。
「動くなと言っているだろう」
「違う、まだ生きてる奴がどっかに埋もれて……」
 掘り起こさねば。頭にはその事しかなかった。自分が巻き起こしたこの惨状を、どうにかして償う方法ばかり考えている。咄嗟に動いた足で、脆い足場を踏み分ける。北の冷えた大地に白い息さえ凍る。
 腕を掴む少女が困惑しながら後を追った。
「私には聞こえない。お前は別の何かに呼ばれてるだけだ。聞こえぬ振りをしろ、それは幻聴だ」
「なら耳を澄ましてみろ! 姐さんにも聞こえたら、手伝え!」
 戦病(いくさやまい)に犯されているのだと彼女は言う。だが掻き分けた鉄骨の隙間から漏れる声は、今では確かに現実味を持って聞こえる。
 サージェ・クライナは露骨に疲労を浮かべて肩を落とした。二人しかいない場所で、他の何の音にも介入される心配はない。一面を制する静寂を割って、再びその声は足下から助けを求めた。
「……聞こえるな。くそ、お前の運のなさが、私にまで染ったようだ」
 些か悲鳴じみた言葉を吐きすて、サージェは細い腕で赤茶の煉瓦をのけた。
「ブラッド、先に言っておく。テナウ=ハサハは蛮猫の街だぞ、南のエアドレイドよりも凶暴だ。蛮猫が蛮猫族と呼ばれる理由を知らない訳じゃないだろう。我々を見た途端襲ってきたっておかしくはない。それに、助けるのが人間とは限らない。それでも手を出すのか」
「関係ない」
「関係ないってお前……いやいい、どうせ殴られるのも蹴られるのもお前だからな」
「そういう事にしておいて」
 諦めた様子で、それでも彼女は手を貸す事には消極的だった。やっとの事で探り当てた怪我人は、思いの外小さかった。人間の子供よりも一回り小さく、最初に見た時は半獣かとも思った。
「猫?」
「蛮猫だよ」
 外れくじを引き当てたような苦い表情で、女医は溜め息交じりに救急箱を押し出した。自分も彼女も、恐らく最初から人間であればなどと期待していない。境界線を持たない自分達に、そういった感情は不要な物だった。
 薄青の短い髪とは違った、薄茶の手足。加えて尾は二本。変わった種の幼い蛮猫族を一目見る。硬く目を瞑って呻くだけで、怪我は見当たらない。ろくに言葉も理解できていない、子供だった。
「安静にできる場所はないか」
 女医が苦しげに呟く。そんな場所、足の踏み場も乏しい戦場では見当たらない。子供を抱えたまま周囲を見渡した。
「……連れて帰る」
「無茶を言うな。閣下の異種族嫌いを知ってるだろう、処分されてしまう!」
「俺が保護する。それなら閣下は文句言えない。どっちみちこのままじゃ見殺しにするしかないだろ。で、俺が育てる」
「ブラッド!」
 目を丸くし、サージェはただでさえ落ち着かない声音を荒げた。二、三度何か言いかけ、途中で口を噤んだ。何となく、言いたい事の半分くらいは理解している自信がある。自分が彼女の立場であれば、同じような事を言っていただろう。
 唐突に落ち着いて、サージェは愚痴を溢すように吐き捨てた。
「そんなのは無茶な事だ。如何せん、お前自身の人格が破綻してるからな。まともな子に育つはずがない」
 最北端の凍てつく風が吹き荒ぶ。あまりの寒さに身を竦める。
 予想の斜め上を通過した微妙な返答ぶりに、返す言葉はなかった。

2006/12/16

お題を借りて拍手にと打ったまま、随分長い事放置されていたので救済。
女医18、団長17で当時まだ団長が素っ気無いという裏話もあり。
当時は「少年のような」女医、に皆に突っ込み喰らった。